旅の空から[異国の細道]47・コロンビア5・・・ボゴタへ・・・Vol.86.2014.8.25

一路ボゴタへ。まだ、パタゴニアまでは道半ばだ。

カルタヘナを8月21日午後3時に出発した。このバスだ。

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愛馬ロシナンテは既にバスの荷物ボックスの中だ。

ボゴタへのバスルートは、カルタヘナから内陸に入り、大平原を抜け、アンデス山脈に入るルートだ。
コロンビアではアンデス山系が3本に分かれている。西山系、中央山系、東山系だ。そしてやがて南に下り1本になるという。
アンデスの東側は国土の半分近くにもなろうかというアマゾンだ。

こんな平原が延々と続く。牧畜が多い。時折豪邸が見えたりする。牧場主の館だろうか。小作人の家と思われる集落も点在する。

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湖などもある。

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途中、南東へ向かってバスは走っているはずが、太陽の位置から見ても真逆に走っていた。どこへ向かうのか不安に駆られていると、わかった。途中の町で下車する人を街までおくっているのだ。バス会社の競争も激しいときいていたが・・・なるほど!だった。
6~7時間こんな風景の中を走り、やがて闇の中となり、バスの中で就寝。

朝目覚めると、バスはすでにアンデス山中を走っていた。やまの尾根近くも走る。くねくね山肌を縫って走る。
はるか眼下に谷川が見える。雲も下のほうに浮かんでいる。

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Bucaramangaの町を過ぎると、もっと嶮峻な山道が待っていた。
バスは時々停車する。ガソリンの補給だったり、乗客のための休憩だったり。
私は必ず降りることにしている。一服したり体をほぐしたりするためだ。
しかし、親に感謝だ、田舎育ちで粗食だったせいか意外に頑健にできている。3000mは超えているであろう場所でも、今のところ高山病の気配はない。タバコも旨い、ビールも旨い。

家など見えないが、山中の道端に、日本ではもうあまり見られなくなったセーラー服によく似た姿の高校生くらいの女の子がいた。カルタヘナからずっと私の通路を挟んで隣の席にいた男性もこの近くでバスを降りていった。
しばらく行くと、今度は同じ姿で3人ほどいたので、やはり学校に行くバスでも待っているのではないか、などと思っているうちに、目に映る景色が穏やかになってきた。

朝の9時、ちょっと遅い朝食となった。洒落たホテルのレストランだった。食べるもよし、食べなくてもよし。
一服してから朝食を取った。

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食事代が9000ペソ、ビールが2500ペソだった。

チタラケ Chitarque というところだった。ビジャ・デ・レイバ Villa de Leiva を少し過ぎたあたりだった。
ここから3時間ばかりは、こんなスイスアルプスのような、ハイジでも歩いていそうな風景が続く。

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そして午後1時半ころ、やっとボゴタの北の街中に入った。バスの中から外の道行く人達を見ると、みんな長袖だ。厚着をしている、寒いんだな・・・。
約30分ほど走り、バス・ターミナルに到着した。

大きそうな首都だ。午後2時だった。なんと23時間かかっていた、が、無事着いた。
標高2360mのコロンビアの首都だ。やってきた、ぞ!
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エル・ドラード!

コロンビアといえば、インカやマヤの文明に匹敵するとも言われる、エル・ドラード(黄金郷)伝説を生んだ地。1819年、oldboyさんの旅日記・ベネズエラ編で紹介された、「南米解放の父」シモン・ボリバルにより、コロンビア共和国(大コロンビア。現在のコロンビア・エクアドル・ベネズエラ・パナマを含む)が樹立された。
かのシモン・ボリバルいわく、「私は友情と報恩を重んずる」。また、コロンビアのことわざに、「逆境のときの友が真の友」とある。
oldboyさんの友情に感謝&ダイナミックな行動に感嘆!
めざすパタゴニアまではまだ、遠き道なれど、行路平安を祈る! !(^.^)!

ボリーバル、oro

はい、元気そうでなによりです。
次回、触れさせてください。ボリーバル邸にも行ってきました。黄金博物館へも。
コロンビアはいいところです!