Eat at Joe's、青春のNEPAL・・・Vol.746

王子の駅前広場近くのネパール料理店「NEWA PASA」から戻って、「Eat at Joe’s」を思い出している。
金とパワーはないが、時間はある。もっとも、若者に比べれば残された時間は少ない、が、今使える時間は多い。というわけで、回想にふけったりしている。
写真は出てきた。「旅のメモ」が出てこない。捨てないで残しておいた当時のバイブル『アジアを歩く』は本棚にある。うろ覚えだが、ヨシッ、これで思い出してみよう、というわけで今PCに向かっている。

まだ若くてヒッピーだったころ、インドからネパールに入った。
大声では言えないが、インドで偽の学生証を作ってもらい、それを使って学割を効かせて、インドのパトナ Patnaからカトマンズ Kathmanduへ飛んだ。当時は、偽の証明書が若者のあいだでは流行っていた。
飛行機から見る景色は圧巻だった。行く手前方に西から東に大きな白雲の条が見え、さらにその白雲のさらに上方に同様な白雲の条が広がっていた。

それがヒマラヤ連峰だった。
こんなにも高いのか、こんなふうに見えるのか! 今でも鮮明に覚えている。

1カトマンズIMG_7583

カトマンズでよく食べに行った店が「Eat at Joe’s」だ。旅先で知り合ったヒッピーから教わった店だ。店主のジョーは愉快なグーな親父だった。パワーをつけておかなければというときには必ず寄った。気持ちと体力の回復はここで十分だった。

ハヌマン・ドーカ Hanuman Dhoka という古い宮殿には驚いたものだ。無数の交合シーンが彫られていた。かつて5000人の妾を抱えていた王が刺激を得るために彫らせたものだという。これを毎日見る子どもたちは、どんなふうに成長するのだろうかなどと、まだ若かった私でさえ少し危惧したものだった。(この写真は今も手元にはあるが、掲載するのはやめにしておく)
ネパールの後、またインドに戻ったが、カジュラホにもあった。
ネパールは木造、インドは石造、の違いだ。数は、カジュラホの方が多い。これでもか、これでもか、と続いていた。

ネパールの人たちは温厚で穏やかでとても親近感が湧いたが、どこの国でも、王と言うものは、狂気ともいえる王が出現するものなのだろう。

カトマンズからアンナプルナやダウラギリが見える村・ポカラ Pokhara に行った。
バスで10時間ほど西にある村だ。湖がある。

2ポカラIMG_7584

村の子どもたちの案内で湖の見える小山にもトレッキングをした。後ろにはマチャプチャリなどヒマラヤ連山がそびえていた。
3子どもたちIMG_7587

宿は、アパートのような部屋を借りていた。今見ると、大分昔だが、そんなに悪くはなかったようにも見える。
4宿IMG_7585


ポカラからは、またインドに入った。
5空港からIMG_7588
早朝、この空港前のバス停からインドへと向かった。後ろの山は、マナスルかアンナプルナのどちらかだと思う。
まだ寝ぼけていたのと暗かったのでと、ボヤケタ写真の言い訳にしておこう。

バスで国境を越えた。ゴラクプール Gorakuhpur というインドの町をめざしたが、深夜バスがパンクし暗闇の中で降ろされたことを鮮明に思い出す。
どうやってたどり着いたかがよく覚えていないが、ベナレスにたどり着いたときは風邪を引いており1週間ばかり調子が戻らなかったことは覚えている。体力が尽きており、目指す宿まで人力車に乗ったが、日本人客(私)の奪い合いでリキシャマン同士で喧嘩をしていたこともよく覚えている。

もうあれから半世紀近くが過ぎようとしている。
まだあの彫り物の王宮も健在なのだろうか?

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