傑物・渋沢栄一ゆかりの地、飛鳥山・・・Vol.743

渋沢栄一、江戸時代末期、血洗島(現・埼玉県深谷市)に生まれ、明治、大正を駆け抜け、昭和初期に他界。国立銀行、ビール会社、鉄道、製紙等、興した企業は500を超える。社会事業・福祉事業、教育、国際交流の分野でも我が国を牽引した。

ここ飛鳥山に住み、ここで逝く。公園内にある渋沢史料館に葬列の写真が飾られていた。
邸宅前は日光御成道(現在の本郷通)が通っていて、すぐ近くには一里塚が残っている。西ケ原の一里塚だ。葬列の写真はそこ当たりを映している。「警察署」の屋上あたりから撮ったのではないか」と同行のIは言う。
歩道には葬送の人波で埋め尽くされていた。写真の説明では、葬儀場の青山墓地まで黒山の人波は続いたとある。

現在は飛鳥山公園に続いて旧渋沢庭園がある。
戦火で焼失しなかった当時の建物も2棟ばかり残っている。青淵文庫と晩香盧だ。渋沢の号は青淵(せいえん)、晩香盧(ばんこうろ)は賓客をもてなした館だ。

青淵文庫の一室。
10青淵文庫android-20160906231629

以下は、渋沢史料館のリーフレットから。
青淵文庫の2階へと続く階段。
12青淵android-20160908154017
晩香盧。
13晩香盧android-20160908154035
ある日の渋沢。
14渋沢android-20160908154026
周辺マップ。
9地図android-20160908150610

友人のIは、小学校時代ここ王子で過ごし、この飛鳥山でよく遊んだという。現在の旧渋沢庭園あたりは、当時は空き地で柵はしてあったが、みんなで柵を乗り越えて野球に興じたものだったと懐かしむ。青淵文庫はそのころは教会関係者が使用しており「カソリック」と子どもたちは呼んでいたとも言う。

飛鳥山公園の桜は、徳川吉宗が庶民の行楽のために1000本植えたのが始まりと、やはり公園内にある「北区飛鳥山博物館」の展示では説明されていた。飛鳥山の脇を流れる石神井川も江戸庶民の行楽の場所で相当賑わったという。博物館には、近辺の野原や川に生息している生き物のジオラマもあった。 I の奥さん Mさんは、このジオラマが大好きだというので、スッと通り過ぎずにじっくりと見た。見ていると愛着がわいてきた。

日本橋から2里(西ケ原の一里塚は、日本橋から2里目の一里塚だ)、約8kmの所なので、日帰り遊山にちょうど良かったようだ。 I と「そういえば、ゆさん(遊山)なんて、あまり言わなくなったね」などといいながら当時の様子に想いを馳せた。

一里塚で現存しているものは少ないが、ここの西ケ原の一里塚保存には、渋沢も相当力を入れたという。
飛鳥山公園脇には、都電もまだ走っている。
廃止されるところを、やはり近隣住民が熱烈に運動をした結果、今も元気に走っているのだそうだ。「住民がいいよね!素晴らしいよネ!」と I 。ほんと、もう、こうなれば文化遺産だ、邪魔されずにズ~と未来まで雄姿を見れることだろう。アスカルゴから都電の姿を見ると不思議に気持ちが和やかになる。都電とイイ、無料のアスカルゴといい、北区は、いいじゃないか!
そのアスカルゴには、10年ぶりに再会した旧友EWもいる、北区は、さらにいい!

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