富岡製糸場、絹の道・・・Vol.714

富岡製糸場、明治5年、1872年、開業。その後142年を経て世界遺産として登録された。

製糸場入口。
1富岡製糸場へIMG_73592入り口IMG_7357

中に入ると正面にあるのが、繭置き場。東と西に2か所ある。これは東繭置場。中庭に入って北側から。右の写真は2階。
3東繭I置所73614繭置2階IMG_7364

検査人館(手前の赤れんが)と女工館。
5検査人館IMG_73586女工館IMG_7365
検査人館にはフランス人の検査技師、女工館にはフランス人の女工(指導員)が住んだといわれる。
製糸場の入口を入って左側にある。

首長館。
9首長館IMG_737311西から榛名寮IMG_7375
左の写真は、南側から。右の写真、首長館の左は、日本人女工の宿舎・榛名寮。

同じく宿舎、妙義寮と浅間寮(右)。
12寮、浅間と妙義IMG_7374

操糸場。繭から生糸を取り出す。当時世界最大の規模だったという。
7操糸場IMG_73708操140mだIMG_7369
長さ140mの建物だ。

群馬県の桐生は西の西陣織と並び、東の桐生織として名を馳せ、かすり(絣)の伊勢崎など養蚕・製糸が江戸時代から盛んな土地。ヨコハマへ運んだ。
最初は水上輸送。利根川や江戸川へ出た。
陸上輸送が日本のシルクロードだ。前橋、高崎、富岡などから八王子を通りヨコハマに出た。八王子には今も当時の名残の”絹の道”が残る。八王子は織物の町でもあった。絹の道脇には今も森の中に仲買で財を成した家が残る。
やがて輸送速度を速めるために八高線と横浜線が開通。鉄道輸送の時代が到来する。

官営の富岡製紙場は、伊藤博文や渋沢栄一により、フランス人検査技師ポール・ブリュナー(首長)が抜擢され、彼に託されて開業。その後、三井に払い下げられ(明治24年)、次いで原富太郎(明治34年)、最後に片倉(昭和14年)に移る。昭和62年操業を停止する。
原富太郎は、ご存じ横浜の豪商、野毛山公園や三渓園が原家の庭だった。片倉は長野岡谷の豪商・片倉兼太郎を創始とする現在の片倉工業だ。その他多くの者たちが絹により財を成した。

14地図IMG_7377
現在の入口前商店街。
13商店街IMG_7378

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