シーギリヤ・ロック Sigiriya Rock・・Vol.650

5世紀後半、狂気の王カーシャパが建てた王宮。シーギリヤ・ロック
1シーギリアロックP1000646
岩山の麓は湖に囲まれ、遺跡跡も残るが、宮殿はこの岩山の上に築かれた。

岩肌にしがみつくように登っていくと中腹に出る。少し広い広場になっている。上の写真の岩山の中腹左あたりだ。
3中腹P1000659 - コピー
4ライオンの爪P1000658
ライオンの入り口と呼ばれるゲートだ。かつてはライオンの頭部まであったのだそうだが、今は爪の部分しか残っていない。この広場はライオン・テラスという。

ここからも、岩肌にジグザグにかけられた階段を昇っていく。怖くて登るのを断念した観光客が何人もいた。
岩山の頂上から下界を見る。
5下界P1000678
今は、建物は何もなく、土台などの石組みが広がっている。当然玉座も残ってはいない。

岩肌の中腹には美女たちの壁画が残っていた。
2壁画P1000648

父王を殺害し、弟をインドへ追放した狂気の王カーシャパ王がここに王宮を築いて住んだのは5世紀後半わずか11年という。人心が離れたカーシャパは弟モッガラーナに攻められここで自害したという。新王モッガラーナは、即王都を元の都アヌラーダプラに戻し、古代から仏教僧の修験場だったシーギリヤロックを彼らに寄進した。
6ロックP1000647
それから1400年後、ジャングルの中に埋没していた宮殿跡が発見される。イギリスの植民地となり、某イギリス人が岩肌の美女たちを発見したことから再び世に出てきた、というわけだ。日本はそのころ明治維新の最中である。

世界遺産である。
後世まで残り、世界中から人々を呼び寄せる多くの建造物があるが、そのほとんどが巨大な権力と富を持つ者の手によって造られている。当時の民はたまったものではなかっただろう。が、現在は、国と何割かの民は、そのおかげで暮らしが出来ている。皮肉なものである。
ドイツの名城ノイシュバインシュタインもそうだ。ワーグナーのスポンサーでもしられるルートビッヒ2世が造った。彼も監禁されすぐ謎の死を遂げる、が、城は残った。彼がつぅり出したのはちょうどこれも明治維新の終わるころからだったという。

これから500年後の人々に驚嘆されるようなものを、今作れる者は、いないのではないだろうか?莫大な富と権力を持つ者、しかも狂気が必要かもしれない、とすると、北朝鮮と中国は可能かもしれない。

今日の1曲は、三橋美智也の 🎶 古城 🎶 でお過ごしください。

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