旅の空から。会津西街道をゆく・大内宿・Vol.607

旅をしていると、フと口をついて出てくる歌がある。
パリでなくても”パリの空の下、セーヌは流れ・・”とか”深く耳を澄ませば・・”とか、歌詞を見ないと全部は歌えないが、気に入ったところだけ、口ずさんでいる。”いとしき日々の・・・!”もそうだ。

今日の旅の空の下は、会津西街道・大内宿だ。
会津城下から旧今市市まで、全長130kmの会津西街道、下野街道ともいう。大内宿の近くには戊辰戦争の激戦地・大内峠がある。
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茅葺屋根
の吹き替えをしていた。
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近頃は、カヤが手に入りにくく、吹き替えは計画的に1軒ずつやっていくのだそうだ。普通の屋根より金がかかるという。

大内宿で”高遠ソバ”を食べた。ネギで掬って食べた。
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どうしても食べてみたかった蕎麦だ。イケた、うまかった!
このあと塔のへつりでもソバを食べた。
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山菜のテンプラは美味かったが、ソバは大内宿の高遠ソバの方が私は好きだ。
ネギがあるソバを高遠ソバというのでもないらしい。昔、信州の高遠からお殿様が国替えで会津にきて”ソバ文化”を広めたらしい、だから会津にあるソバは高遠ソバといってもいいのだとか・・・。
ネギは少し残ったが、全部かじって食べた。店の女将さんが「まあ!」と驚いていたから、普通はネギは少し残す人がおおいのだろう。

塔のへつり。
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昔は、いつだったかは忘れたが、海の底だったという。
ヒマラヤやウユニ塩湖も、昔海底だったというから、昔は地球には海しかなかったのだろう。

そういえば、先日、我が村の公民館に東京都埋蔵文化センターの職員が来て説明会を開いてくれた。
今、近くで道路の開通工事をしているのだが、遺跡調査をしている。ささやかだが遺跡が見つかったのだ。
海だったころほど昔ではない。わずか5000年ばかり昔の遺跡だそうだ。
このころの縄文時代人は、大寒波の襲来で栗の実なども採れにくくなり、海に向かって漁をしに行くもの、山に入って狩りをするものとに分かれて行った時期である、と担当者の方は言う。
我が村の遺跡は、その狩りにむかったものの証だった。獣を取るための”落とし穴”がメインだった。
「ブログなどで公表するのは控えてください。まだ調査中ですので」と担当者。

質問をした。「狙った獲物は何ですか?」と。
担当者は即答「イノシシなどです!」と。
「おお!、イノシシなら今も出るぞ!先日も湯殿川の川沿いの空き地で見たばかりだ!」。

5000年前が、つい昨日のように思えた瞬間だった。

そんなことで、会津・裏磐梯の旅は終わった。

今日の昼下がりの1曲は、松山千春♪人生の空から”で。


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ありがとうございました!感謝です。
では、今日もまた良い1日でありますように!


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