信濃の空に東風渡り、真田丸いよいよ登場・Vol.463

久々にNHK大河ドラマが楽しみだ。甲子園での高校野球などと同じでなぜかゆかりのある地のことには気合が入る。
1真田丸
2六文銭


私は高校生の青春時代をここ信州上田市で過ごした。校門(昔の藩主の居館の正門)の雰囲気が好きだった。校門の両脇には昔からの掘があり、お掘の水が季節ごとに変わる木々の影を美しく映していた。
3古城の門

旧制中学の雰囲気を濃く残しており、バンカラという言葉がぴったりだった。1学年11クラスあったが、女性は1クラスに1人くらいだった。入学して間もなく応援練習が始まった。この正門と裏門の2か所しか出口はなく、あとは塀や建物で囲まれていた。応援団員がこの2か所に立ち、練習をさぼって下校することは許されなかった。裏門を出るとグラウンドだったが、ここは昔の藩主の庭園だったそうだ。南側は崖で、がけ下むこうには千曲川がゆったりと流れていた。関八州の精鋭をここで食い止めたのだ、と昨日のことのように先輩が胸を張って言ったものだ。
応援歌はNo1からNo5まであり、No2は”松尾城頭青嵐、昇る朝日の烏帽子山~”、No5は”真田勇士の血を継ぎし、上田健児の~”であり、みな好きだった。勝利の時の凱歌、旧制中学時代の寮歌も練習した。”昔真田の城のあと、今は文読む窓のうち、燈火の影に英雄の、おもかげしのぶ春の暮れ”などと練習以外でも口ずさんでいたものだ。
校歌も勇ましかった、4番まであり”古城の門をいで入りて、不動の心山に見る~~我に至剛の誇りあり、いざ百難に試みむ”といった調子でまるで応援歌のように威勢がいい歌だった。
いつのまにか六文銭、真田勇者の末裔のような気がしていた。

確か校門で撮った写真があったな、と古いアルバムを引っ張り出してみた。あった。
4真田十勇士+α
今は制服はなく服装も自由になっているが、このころはまだ皆学生服だ。急に思い立って写真を撮ろうということになったのだった、生徒会役員総出の記念写真、”真田十勇士+α”だ。
ふだんはほとんど振り返る時間もなかったが、真田丸のおかげで過ぎし青春の日々を思い出している今日この頃だ。それにしても、アッというまに時は立つものだ。卒業後一度も会っていない者も多い、皆、健在だろうか?
そういえば各クラブとも、ユニフォームなどには皆六文銭がついていた気がする。
5弓道班
6応援団長の下駄
応援団長の高下駄。ここにも六文銭だ。試百難は校訓。

「何それ!」などと今では言われそうだが、こんな高校時代だった。
一方、田舎町にも新しい風は吹いてきていた。バンカラ気取りだったが、エレキギターがやって来た、文化祭でパイプラインの出だしの音を出すだけで体育館が満員にふくれあがったていたし、グループサウンズも出てきたし、ビートルズも東京にやって来た。坊主頭もいたしロングヘアーもいた。おーおー、いろいろ思い出してくる!これは、今年は上田に行かなくてはならないか、な?
まずは、10日、「真田丸」の出来次第だ。
原作はなく、三谷幸喜の脚本とのこと。面白い仕上がりになっているといいのだが・・・。ワクワクドキドキだ。堺雅人も楽しみだ、3倍返しの楽しさを味わわせてくれ!

今は、長野市と軽井沢を結ぶこんな食堂専用列車も走っている。
7グルメ列車

上田市のホームページにもこんな文字や絵が踊った。
9市役所
8兜
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コメント

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古城の門

さすがに旧制中学の名残多し。
日本一格式高いと評判の校門『古城の門』は立派!
ただ、校門前で撮られた写真、顔がわからないのは残念。
生徒会長(私の覚え違えでなければ)の浮雲氏はどこに?
「天地人」ゆかりの地のわが母校もバンカラ。下駄で通学、裸足で過ごした日々が懐かしい。
いづれ「真田丸」日記続編を!