行雲流水64・屋台と芋ねえ・・・Vol.348。2015.7.19

外に出たが、まだ暑いので、もうしばらく思い出にふけろうと、またPCに向かった。
実は、便乗発展で、鎮守の森から始まって、いくつか思い出したことがあるが書き忘れていたこともあった。

もう大分昔になったが、新人が入社してきた。美人だったが、私と友人YKの間では”芋ねえちゃん”と呼んでいた。
理由は簡単、某有名大学の大学院で「芋の研究」をしていたという私たちから見れば「変わった気になる娘」だったからだ。

よく聞けば、芋ばかりではなく植物の生態学のような研究だったらしい。
3年ばかり前に、その彼女から分厚い本が送られてきたことがあった。
宮脇昭著となっていた。
私が「宮脇先生の講演を聞いて来たよ」という話をどこかで誰かに聞いてのことだった。
本と一緒に添え書きがあった。
「実は、宮脇先生は、私の大好きな先生です。大学院で教わりました。小説やら各種の本はほとんど処分しましたが、この本だけは捨てずに残しておいたのです云々」とあった。

読んだが、学術的であまり理解はできずに、もう少し理解をと思っているうちに半年くらいが過ぎてしまった。
「返して」と言われたわけではないが「差し上げます」とは書いてなかったし、大変大事なものだとはわかっていたので、少し残念だったが、お返しした。

もうひとつは、屋台だ。
かつて虎の門の交差点近くに屋台があった。
私の”止まり木”でもあった。

強面のオヤジと奥さんと従業員の3人でやっていた。
ある夜、オヤジが「いいか、たとえ一杯で帰る客でも、たまに来てパーツと使う客より、毎日のように来てくれる客のほうが大事なんだぞ!」と従業員に向かって怒っていた。従業員がそんな態度を取ったのか、言ったかはしらないが、私はそれを聞いて”へえー”と思い、それから一人でも通うようになったのだった。毎日は通えなかったが、居心地がいい店だった。

一人で通う客とは大分馴染みもできた。その中にボイラーマンもいた。私が関わった一番最初の”火入れ式”の前後では、やっと共通の話ができたとうれしかったことなどを思い出す。

オヤジは、石川県の出身で当時首相だった森喜朗と小学校の同級生だと言っていた。よく「アイツがなあー」と言っていた。
今日TVでその森氏が出ていた。
例の”国立競技場”問題だ。これは白紙に戻ってOKだろう。
関わったものは「皆、首!」といいたいところだ。W杯ラグビーには申し訳ないが、安くて納得のいく競技場を作ってもらいたいものだ。

次回日本でのW杯、そのころまで生きてはいないだろうが観客席はサッカーW杯招致可能な8万人収容で、アスリートが使いやすく、各種競技でも使用良の施設としてもらいたいものだ。国立だから、まだ、サッカー専用スタジアムとまでは言えない。

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2013年12月1日の国立。




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