行雲流水43・上野桐恵・・・Vol.318。2015.6.23

日光堆朱の礎を築いた人、上野桐恵(とうけい)。
NIKKOを彫る、桐恵・乙丸・城民展が栃木県壬生町歴史民俗資料館で開催された。

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上野桐恵は、皇室への献上品はじめ、パナマ万博(大正4年)で銅賞を得るなど、その作品と技は秀逸なものがあったが、その功績は世間にはほとんど名が知られていないと言っていいだろう。
それを世に知らしめたのは栃木県下の学芸員だ。昨年「壬生のサムライと日光の至宝展ー日光ブランドの開拓者たち」という展示会とシンポジウムで明らかにされた。

桐恵の作品「浮彫・猿蟹図」
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そして今回発見された「浮彫・猿候月を取る
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堆朱経机
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経机の上左は硯箱、右は香台

昨年は、日光堆朱の実質的初代は桐恵としていたが、今回は精査を加えて初代は桐恵の師・鈴木陽恵とし、桐恵を2代目、そして桐恵の弟子人見城民を3代目と位置付けた。城民の後を受け継ぐものはおらず、正当日光堆朱は残念ながらここで途絶えている。

実は、上記の猿蟹図と経机は、妻の実家にあった。
私の息子や娘は幼いころこの経机の上に乗って遊んだりもしていた。
猿蟹の彫り物は壁に掛けられていたが、子どもは浮き彫りになった部分に手をかけぶら下がろうとさえしていた。
妻の母は、「芸術品だからね・・・」とは言ったが叱りはしなかった。私自身も、「すごいなあー、いいものだなー」と思ってはいたが、それだけで終わっていた。
しかるべき権威者が認知して、あらためて正直なところ驚いた。その時妻の母はすでに逝っていた。

実は、桐恵は、妻の祖父だ。
なぜか自分も、嬉しく誇らしげになっているが、
義母が生きていたらどんなにか嬉しかったことか、と思うと多分に辛い。
最終日だったが、日曜日家族で展示会に行って来た。
不思議なもので、妻の実家で見るものと展示会で見るものは、同じものなのに、素人の情けなさ、一段とありがたく見えてしまっていた。
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コメント

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おはようございます!
身近に、芸術者がいらっしゃること、誇らしいですね。その作品と、血が代々受け継がれていくこと、生きる励みにもなります。素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございます!