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映画は人生そのもだった:k Morita・・・Vol.2607


第93回米アカデミー賞(授賞式25日)では昨年の韓国映画「パラサイトー半地下の家族」に続いて、またアジア人が話題を提供した。「ミナリ」の韓国人ユン・ヨジョンが助演女優賞、「ノマドランド」(無依乃地)の中国人クロエ・ジャオが監督賞。ジャオ監督は、中国版ツイッターの微博では2月までは中国においても大絶賛されていたらしいが、3月以降彼女の発言が基で、反国家ということからだろう彼女関連の微博は閉鎖されてしまったそうだ。有無は言わせないと相変わらずの中国が顔を出して来た。

わたしなどもカンヌ映画祭などで、北野武が・・・、○○が・・・、などと日本人が受賞したり話題になると誇らしく嬉しくなるタイプで、だいたいが、いい加減だから言えたぎりではないが・・・。
「黒だとか白だとか黄色だとか云々は・・・」などともっともなことをユン・ヨジョンは受賞スピーチで言っていたが、ああいう場で正論を教条的に説明的に語り出すと危ない傾向が増大していくような気もする。映画祭の受賞作もスピーチも世相とは無関係とはいえないだろうが、世相の流行語よろしく「黒人の命も大事」的にあまり肩を入れ過ぎると「ブルータスお前もか!」と辟易し眉に唾して人は映画館からエンターテインメントの場から退場していくんじゃないだろうか?危惧している。

“泣き、笑い、怒り、戦争、平和、正義と悪、富と貧、差別、勇者と敗者、未来、人生・・・”想いは映画そのものの中に込めればいい。観るほうは映画そのものをたっぷり楽しめればいい!

映画が人生そのものだった人は多い。映画に人生を教えてもらった人も多いだろう。
ホントに映画はワクワクさせてくれた。

私が生まれ育った信州のM町には映画館が2つあった。M劇場と川西座だ。
中学生になった時、通学では禁止されていた自転車で学校へ行き、授業が終わるやいなや川西座にペダルをこいで直行したもんだ(歩けば30分ほど)。田舎の中学生には、映画はなんとなく大人のアブナイ匂いがしたりもして魅力的だった。
自転車を走らせてひとりで川西座で観た映画は石原裕次郎「アラブの嵐」で危なくもなく背徳の匂いもしない活劇ものだった。ただ後で考えたら、見知らぬ異邦の地を歩きたい!と思うようになった原点だったかもしれない。魅かれたのが「我が国映画界初のオール海外ロケ」というようなうたい文句で海外にあこがれていたような気がする。
ピラミッドを駈け上るシーンが鮮烈でそれ以外覚えていない。エジプト、カイロ、ピラミッド、あれが強烈だった。いつか登ってみたいもんだと思ったが、十数年後に実現した時にはもうよじ登ることは禁止されていた。しかしスフィンクスの前で、あの時の川西座の裕次郎をはっきりと思い出していた。

昔は、そんな小さな映画館がどこの町にもあり、映画館は文化や憧れの発信基地だった。
2011年にそんな『小さな町の小さな映画館』というドキュメンタリー映画が完成した。続く2作目が『旅する映写機』で2013年作品。そして3部作の集大成・完結編が『まわる映写機 めぐる人生』で2018年に完成した。
作品は上映する映画館、銀幕に映像を贈る映写機、それを操る映写技師、運営する人、上映する人、支援する人たちであふれている。映画に取り付かれたすべての人、映画を愛するすべての人たちにたっぷりの愛情と哀愁を込めて作られている。封切りを待ちわびる観客の息遣いも聞こえてきそうだ。
製作した人が映像作家で映画監督の森田惠子さんだ。製作・撮影・編集・語り、すべて彼女自身でやっている。もちろんさまざまな人たちが関わっている。
私の友人・石原雅彦さんもパンフレット等のデザインを担当している。

先日、その石原さんからメールが届いた。
「森田惠子さんが逝去された!」との訃報だった。4月22日23時に亡くなった。合掌。

令和3年4月28日(水)、晴れ、18時50分、薄暗くなってきたが、まだ天気は崩れない。
2016年の9月8日に王子で森田さんと飲んだ。石原夫妻のお誘いだった。知り合いの雑誌編集者Mも居てワイワイやった、いい酒でいい夜だった。昼間には石原さんが、今大河ドラマの時の人・渋沢栄一ゆかりの飛鳥山公園内を案内してくれた(ブログ2016.9/9.Vol.745)。
森田さんと飲んだのはこれが最初で最後だった。しかし、人生には、たった1回だけ会っただけでも忘れられない心に沁みいる人もいる。森田さんはその一人だ。
その後、手紙などで数回連絡のやりとりをし、関係する模様を2回ブログに書いていた。2018.11/7.Vol.1605と2019.3/26.Vol.1837だ。ご笑覧いただければ嬉しい。
実は作品にはほんの少しだけ関わった。映画(狂)フアンは日本人だけじゃあない、外国にも当然いる、そんなことで英語版のフライヤーを作成することとなり、英訳を依頼された。当然私には無理なので、私は信頼している知人のN(英語の達人)にお願いした。森田さんとの間に立った石原さんは当然そうなることを見越していたのだった。
Nは「まわる映写機 めぐる人生」をProjecting Film, Projecting Life とした。
Nの英訳の一部は「愛知国際女性映画祭2018」のウェブサイトにも紹介されていた。
英語版フライヤーのデザインも石原さんで、Nも石原さんもボランティアだった。友情出演というところだろうか。
56森田惠子さん3部作IMG_5910

来し方をふりかえりつつ、森田さんのご冥福を祈りたい。
熱い映写室の、フィルムの回る音が、森田さんの声と重なって空から聞こえてくるようだ。
あらためて 合掌



今日もご訪問くださってありがとうございました。
From Tokyo With Love 東京Japan八王子より愛をこめて
 



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コメント

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記憶の映写機

いろいろお世話になりました。
ご紹介ありがとうございます。
楽しかった日のことを、止まっていた映写機が回り出したように思い出しました。
飲もう!と言うと喜んで来てくれた人なので、なおさら寂しいです。