青春の大和まほろば・沖縄 OKINAWA・・・Vol.235。2015.2.14

45 Years Ago in OKINAWA
       ・・・由布・沖縄

海にヘッドを突っ込んでトラックは止まった。
「さあ、降りてくれ。」と、運転手の声。道は海に消えていた。迷ったらしい。もうすぐ日が暮れるというのに困ったものだ、と思いながら荷台から降りた。
「いったいどうしたんだ?」仲間のひとりがいらだたしげに尋ねた。
「到着だよ。」
「え?」
「着いたんだよ。ホラ、あれが由布だ ョ。」
指さす彼方に目をやると、海上に小さな島が浮いていた。”由布”との初対面である。
「着いたって・・・、橋も、舟だって、ないじゃないか。」
「なァーに、あの電柱を目当てに行けばいいのさ。」

言われてみると、確かに電柱が見える。海の中に1本、2本・・・・と続いて、島に消えている。
「この海のなかを歩いて行くのかい?」
「おう、そうさ。ハハ、だいじょうぶサ。深くったって、膝の少し上ぐらいまでしか水はこない ョ。」
「ただし、電柱と電柱を結んだ線を歩けよ。いいな。じゃあナ。」
トラックはバックし、向きを変えると、2度クラクションを鳴らし、今来た道を戻って行った。

海の色と島の色との区別がつかなくなっていた。いつ灯ったのか、夕闇のなかに灯りが見えた。荷物をまとめ、一服していただけなのに、夜の訪れは早い。
「さあ、行こうか。」
靴をリュックにくくりつけ、ジーパンを膝の上までまくり上げ、一人ずつ海に入った。めざすは、夢にまで見た島、由布。

西表島へ行くのならぜひ由布へ行けよ。東京で知り合った石垣島出身の大学生が会うたびに、私にすすめた。どんなところかと尋ねても、行けばわかる、とにかく行ってみろよと、ただそれだけしか言わない彼の笑顔が目に浮かぶ。足に海水の冷たさがここちよい。こんな出会いが用意されていたのか、彼の思いやりが心憎かった。

黙々と海の中を進む。背のリュックが重い。おろして休むわけにはいかない。一歩、一歩。ゆっくり進む。前を行く友の背が大きく見える。その彼の前に3人、私はしんがり。仲間の後ろ姿がこれほど神々しく見えたことはなかった。
こうして由布に上陸したのだった。夜になっていた。満点に大きな星。

サンゴ礁の島
由布は小島だ。西表ヤマネコなどで知られる西表島の東にポツンとある。船で、沖縄本島から石垣島、さらに石垣島から西表島へと渡る。西表島東端から海の中を歩いて渡ると由布に着く。島はサンゴ礁に囲まれ、木々の緑におおわれていた。人家が20戸くらい、小学校がひとつ。

村長(むらおさ)の世話で私たちは、夏休みで人のいないその小学校に寝泊まりすることになった。飯盒で飯を炊くのに都合がよかろうと、給食室が宿所として提供された。かまどとテーブルがあるだけの部屋だったが、私たちにはそれで十分だった。外には芝の生えた広い校庭、その向こうの林を抜けると青いサンゴ礁の海、果てなく続く青い空、そして南の島の太陽が、私たちのものだったから、である。島の周囲が2kmたらずというのも、この島を自分たちのものだ、と錯覚させるにはちょうど手頃の大きさであった。

「おはよう!」
6年生の女の子が、ニコニコしてあいさつをする。下級生たちがゾロッと彼女の後ろにくっついている。毎朝やって来ては学校の花壇に咲いた花や植物に水をやるのだ。
彼女らの”花に水をやる”日課は私たちの”不意の出現”によって急に楽しさを増したかのようだった。陽が昇るとイソイソとやってきた。ひとりずつ恐る恐る「お・は・よ・う」と言う。「やあ、おはよう!」と答えると、パッと顔がほころんで、クチャクチャの笑顔になる。
背丈もあり、15歳くらいに見えた少女が一人だけ最上級の6年生。母は沖縄本島で働いており、少女はおばさんの家に預けられていた。しっかりしなければと、けなげにも自分に言い聞かせているのだろう。彼女の年下の者を世話する態度にはありありとその覚悟のほどが見受けられた。目の大きな、美しい少女だった。

再会
私たちが訪れたのは1970年。この年沖縄はまだ返還されていなかった。渡るには、総理府発行の”身分証明書”を取得せねばならなかった。一般旅行者は少なく、石垣島あたりまで南下すると、”○○大学探検部”とリュックに書いているグループが目につくくらいのものだった。当然土地の人は素朴であたたかであった。

石垣島の大浜村では到着した日、お祭りがあった。その夜、村人は、遠来の客として酒宴に私たちを招待してくれた。酒は泡盛、沖縄の酒。胸にジーンとくるハプニングだった。この沖縄の旅には、自然の素晴らしさはもちろんのこと、旅の真髄でもある人とのふれあいがあった。じつに多かった。それは帰りの船の中でクライマックスを迎えた。

由布から石垣島に戻り、カピラ村で泳いだりして過ごした。1週間ほどして沖縄本島に向かう台湾からやってきた船に乗る。さまざまな思いのこもった別れのテープが舞う。陸上でも船上でも必死に手を振っている。聞けば正月か来夏まで家族と会えない人も多いとのこと。
デッキにもたれ遠ざかっていく島にボヤーッと目をやっていた。
「おにい、ちゃん。」
夢のなかで聞く声のようだった。振り向くとあの少女が立っていた。大きな目の、由布の、少女だった。しばらく前から後ろにいたと言った。・・・沖縄本島にいるお母さんに会いに行くのだった・・・・・・。

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むかし、旅行好きが集まって、こんな文を書いていたことがあった。
昨年春、仕事を辞め、隠居の身となったが、W杯や南米の旅に出てしまい、書類や本や写真など数十年の”始末”はしないままに今年になった。
今、ようやく本腰を入れて、本などの整理を始めた。横に、3年ほど前に買った”コンマリ”の「人生がときめく・片づけの魔法」という本を置きながら。
そしたら、この文章が出て来た。
ほかにも、いろいろ大事にとってあった。捨てる前に、いくつかこのブログに記録しておこう、などとと思った次第。
(見出し以外は、当時のママ。)昔のほうがいい文を書いていたな、などと、自己満足していたりする。

写真もいくつか出て来たので、デジカメに取り直してみた。
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由布島へ、電柱を目印に海を渡る。
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石垣島・大浜村の祭
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自炊道具も重い荷も苦ではなかった。みんな、若かった♪あの時、君は若かったー♪
沖縄1
沖縄2
当然、私も、若かった

身分証明書(パスポート)が必要だった。
パス
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この年、夏が終わると、大阪万博がやってきた。
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