ちょっといい・話 2 ・・・W杯後始末・・・Vol.228。2015.2.6

日本代表監督アギーレ氏が解任された。
彼に呼ばれた代表選手たちのコメントを見る限り、多くが、彼の指導方法等について好感を抱いていたことがわかる。TVに写る街の声も「もっと彼に続けてもらいたかったが、疑惑問題があるので、やむをえないか」というものが多かったように思う。
サッカー協会としても、このタイミングしかなかったのだろう。
日本人の、あるいは協会のメンタル、という点では、当然これ以上もちこたえる強心臓があるとは思えない。他国では、無罪か有罪かの結論が出るまで、どこ吹く風で、続投することもあるかもしれないが、日本ではNO、だろう。サッカーの内容とは別の次元で、スポンサーやマスコミからの圧力に簡単に屈してしまうことは明らかだからだ。そういう意味でも、是非は別としてこのタイミングしかなかったとは思う。

空白の6か月、などというマスコミ(?)もあったが、私はそうは思わない。
オシム風にいえば、”人生と同じで、無意味だった時などありはしないのだ”

今日言いたいのは、この話ではない。
先日、某機関紙が送られてきた。ここに”いい話”が載っていたので、これを紹介したい。

知人でマレーシアで活動をしている中島健さんという方がいる。
彼は、旧ボルネオ島・シブ Sibu の奥地でそこで暮らすひとたちへの生活支援活動を行っている。
活動の一端は「Dari Kuching」という機関紙(広報紙)で伺える。その今年の新年号で中島健さんの署名で次のようなことが書かれていた。

「昨年、心に灯がともったニュースもあった。サッカーW杯だ。コートジボワール戦で負けた後、無念の思いを呑み込みながら、観客席のゴミを拾う日本人サポーターの姿が、世界中のTVに映った。勝ち負けとは別の形で心をつかまれました。」とあった。私はこのスタジアムにいたが、知らなかった。私の席は日本人サポーター席から遠く、周りはほとんどブラジル人ばかりだったせいもあるか、ゴミなどもなくきれいだったせいもあるか、だが、そうではなかった。負けて悔しさのみが募り、そういう思いに心を寄せる余裕がなかった。フランスW杯以来の良い伝統が続いていたのだ。私はまだまだ修行が足りない。

いい話の核心は次の文章だ。
「大事な試合を落とすとサポーターがゴミを投げ捨てて去ることが多いのに、日本人サポーターは意気消沈しながらも、ゴミを拾ってからその場を去った。と、各国のメディアが報じた。なんと豊かな日本人の姿でしょう。このニュースが、どれほど異国で苦闘する人々に、勇気と希望を与えたかわかりません。自分もこのサポーターと同じ日本人。誇らしい気持ちになりました。」

異国で、自分の意志で、活躍している人は多い。良いことばかりでなく、悪戦苦闘の日々もあり、資金も足りないだろう、多くの汗と涙の日もあるだろう。同胞への希望や期待もたくさんあるだろう。しかし、私(たち)が忘れてはいけないことは、肝心なことは、同胞の”誇らしい”言動が、彼らにより大きな活力をもたらす、ということだなと感じ入った文章だった。

中島さん、お体にご留意され、いっそうのご活躍を祈っています!

ダリ・クチン
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