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迷走・訓え「富者」「倍返し」・・・Vol.2408


やられたらやり返す。
「倍返しだ!」なんの「100倍の恩返しだ」とかかんとか、数年ぶりに満を持して復活した「半沢直樹」が期待に背かず評判だ。私も楽しんでいる。

そんなことから考えた。
左の頬を殴られたら、右もどうぞ」だ。正しいのか、違う言い回しなのかはわからない。
成程とも思うが、賢人はいざ知らず、普通はなかなかそうはいかない。深く考える前に「何を、この野郎、倍返しだ」と相手の右頬を殴っているかもしれない。殴るか否かは別として、私などはそんなもんだ。
精神や身体への暴行は瞬時に起こったりするから、それまでの精神や肉体の鍛錬の仕方・生き方に左右される、瞬時の対応は難しい。ツイ口や手が出てしまいそうだ。

富者は貧者に」というものもある。“施し”をだが、今は不適正用語かな?・・・。
これもハタと考えた。
貧者でない者に向けた戒めと考えれば、「ハッおっしゃる通り、ごもっとも。そのように生きるよう努めます」だが・・・。

数年前に友人Aを訪ねてスリランカに行った。シーギリヤロックなど観光が主な目的だった。
通りには物を乞う子どもも大人も居た。
ご存じのとおりスリランカは仏教国だ。
友人のスリランカ人Aは熱心な仏教徒で彼らにわずかな小銭をごく普通に差し出していた。
だが彼は「ちょっと失礼」と言っては街中で「宝くじ」をせっせと買っていた。貧しくはないが平均的な一攫千金を夢見る一人だった。金が余っているわけじゃあない、“施し”は分相応にというわけだ。

大分昔にAは日本に学びにやってきた。以来の付き合いで、Aは帰国してだいぶ経ったある日便りを寄越した。
小さな家だが念願のマイホームを建てると言うことが書いてあった。
「資金が足りない。できれば・・・」ともあった。
私もしがないサラリーマン、金がある訳でもない。でも日本ではわずかなお金でも、スリランカでは十分に価値があることも知っていた。Aが熱心な仏教徒で「富者は貧者に」の教えの持ち主であることも知っていた。
私はAより富んだ者ではないが、当時のAはそう感じていたのだろう、また私もわずかな日本円でもAの役に立つことは分かっていた。

甲斐性がないからへそくりなども持っていなかったので妻に一応断りを入れた。妻もAとは交流があった。
そんなことで、わずかな分相応の日本円を捻出してAに送った。
後日、Aから連絡があった。
「おかげさまで家が建ちました。部屋のこの窓がいただいたお金でできたものです」とあった。
「屋根の一部はKさんのおかげです」とあった。
kとは私の友人Kのことだった。あとでKに聞くと「なんだお前もか」「今度いつか俺らの窓と屋根を見に行くか」と言って笑ったものだった。

その後Aは小さいながらも事業を起こし順調で、新しい家を建てた。
だから、“思い出の分相応の金”で出来たと言うあの“私の窓“は今はもうない。唯一自慢できる証だったのに残念だ。
立て替えの時の無心はなかった。富者貧者の関係が逆転したとAが感じたのかもしれない。
だが、AとKと私は、今も富者・貧者関係なく付き合えている。

1止まり木秋IMG_6777


令和2年9月5日(土)、快晴。
昨夜は、止まり木にたっぷり居た。そっけないのでバラを差して風流とした。
以上のようなことをあれこれ考え思い出して肴とした。秋の夜長が始まった。


今日もご訪問くださってありがとうございました。
From Tokyo With Love 東京より愛をこめて
 では、また。





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