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「青天を衝け」渋沢栄一に期待を込めて②・・・番外伝2・青春「コスモス街道を行く」


勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征
青天を衝きさす勢いで臂(うで)をまくって登り 白雲を突き抜ける気持ちで手に唾して進む

渋沢栄一、天保11年(1840年)2月13日、武蔵野国榛澤(はんざわ)郡(ぐん)安部領(あべりょう)血洗島村(埼玉県深谷市大字血洗島)に生まれる。このとき若干20歳くらいだろうか。
埼玉血洗島で家業の藍玉売りに精を出す。信州にも行商。
信州に向かう山中・内山峡で詠んだ句で、ここからTVタイトル「青天を衝け」としたとTV製作者のPR版にある。

碓氷峠ではなく、群馬と長野の県境にある荒船山の麓辺りから山を巻いて信州に入って来たのだろう。
下仁田から続くこの道は信州街道、富岡街道、姫街道などと呼ばれる。文京区から松本に至る国道254号線だ。
内山峠を超え信州に入っての街道は、今はコスモス街道としても有名だ。
村人(老人クラブ員が中心)が昔から街道脇をコスモスで飾っている。栄一の頃はなかったかもしれない。

1虹とコスモスIMG_4741

*「青春篇」でぜひ見たい(描いてほしい)シーンは、
[シーン1:コスモス街道と荒船山]:栄一が汗を拭きふき内山峠を登り切る。頭上には青天に白雲、一息つき、来し方から行く手を見るとコスモスの花が乱舞するコスモス街道が一条。「ヨイショ」と腰を上げる。振り返ると荒船山が聳えている。
街道では右手に妙義山系を見て登り、登り切るとやがて前方遥か彼方に蓼科山、右手を見ると浅間山からは白煙が上がる。コスモス街道辺りが内山集落で、モミジ名所の内山狭があるが、栄一が「青天を衝き」と一句読んだと言う内山狭は内山峠に登るあたりのことではないかと私は思う。

2妙義山IMG_0911 3蓼科山IMG_20190428_103436 4浅間山IMG_5527 - コピー

[シーン2:観音堂に倒れる]:藍玉が売れたり売れなかったり。中山道から北国街道に入り、信州上田神川の里にたどり着く。ひどい風邪に冒されて小さな祠の前で倒れる。見ると観音様が祀られている。一心不乱に祈る渋沢。一夜にして全快。福聚山無量庵だった。後に般若経1巻を父の名で寄進したと言う観音堂だ。(この堂のことはへいへいサンに教えていただいた。そこから渋沢栄一を訪ねての私のブログ旅が始まった。感謝だ)
観音堂から北に目を遣ると烏帽子岳が青天に浮かぶ。左に太郎山が連なり、その麓は上田城下だ。岳の右に目を遣ると東端にまたも白煙あげる浅間山が見えていたことだろう。

1烏帽子岳IMG_5565

[シーン3:母の薫陶、慈善事業への芽生え]:ライ病(ハンセン病)患者に尽くす母の姿。晩年の渋沢に大きな影響を与えた母の姿を少しだけ。後に渋沢は、明治38年(1905年)にライ病施設「熊本回春病院」の経営者ハンナ・リデルと会う。栄一は大隈重信とともに後援会を組織し、経営危機を救う。以後熱心に予防事業に取り組んでいく。

[シーン4:出航]:慶応3年(1867年)、前年に15代将軍となった慶喜の弟・徳川昭武に随行し渡欧、パリ万博に出かける。意気揚々とした船上の栄一。ここで「青春篇」は幕。

まあ、「青春篇」への希望はこんなところか。
後は山ほど逸話もあり誰が書いても演出しても出演してもプロはプロ、楽しませてくれるだろうから、注文をつけることはない。
面白く、元気な栄一を見せてくれてワクワク胸躍れば、それで「ヨシッ」。
(2020.8.28②)(V.2396)


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