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差別と蔑み・チーノ・・・Vol.2360


子どもは無邪気だが時に残酷容赦がない。
誰かから教えられたわけでもないだろうが、時に核心をつき本音を引っ張り出されてハッとさせられる時がある。
その子どもの環境や背景・社会をそのまま映しているように思う時もある。
大人世界の本音の代弁者でもあるような気がするときもある。

小さいころ、喧嘩して勝ち目がなく、相手から逃げる途中、安全地帯に入ったあたりで悔し紛れに遠吠えをしたことなどを思い出す。
「お前の母ちゃん、出べそ!」だ。誰に教わったわけでもない、出べその意味もどうでもよく、わかっていなかったかもしれないが、それを言うと相手が一瞬ひるみさらに怒り出すのが少し快感だったのかもしれない。
ホントに出べそだったらとか、そういう言葉を言うものではない、などとは考えもしなかった。
それにしても不思議なことはそういう時の悪たれは必ず「お前の母ちゃん」であって「お前の父ちゃん」ではなかった。言い返す相手もそうだった。
石を投げたこともあったが、相手の後ろの家の窓ガラスを割ってしまいバレて後で親にゴツンとやられて以来、止めた。

アフガニスタンのバーミヤンのことはこのブログにも書いたが、そのバーミヤンに行く途中のバスの荷台の上でアフガニスタン人に交じって乗っていた。当然子どもたちもいた。
荷台の異邦人は私だけ。
異分子がいるのだから、大人も子どもも「何者だろうか?こんな荷台に」というような目でじろじろ見たり、見ないふりをして私を見ていた。
私の身なりは、スーツを着ているわけじゃない、貧しそうなヒッピー姿だ。

やがて危害を加えそうでないと分かったのか、子どもたちがリラックスして仲間内でワイワイやりだした。
そして合唱が始まった。
私を指さして「チーノ、チーノ」の大合唱となった。
見ると子ども達の目はみんな“蔑みの目“だった。身なりは私とどっこいの貧しい服だったが、子どもたちは完全に優位に立っていた。
「ノー!チーノ。私は日本人だ!中国人じゃあない!」と大きな声で言っていた。
私は中国人嫌いだとか差別というようなことではなく、ただ単に自分が“蔑まれている”と分かった途端に我慢がならなかったのだった。

ただ、その一言で子ども達の目からは“蔑みの色”が確実に消えた。
“尊敬の色“に変わったとまでは言わないが、一変したことは事実だった。

やがてバスはバーミヤンに着き、もう私の正体も伝わり村の子どもたちがハシャイデやって来た。

1バーミヤンIMG_6537   2バーミヤンIMG_6538

同じことはイランでもあった。
「やはり、チーノは蔑まれているんだな」とその都度感じたものだった。
子どもたちが直接中国人と接してそう考えるようになったとは思えなかった。
「親や世間の大人たちの本音」の代弁だなと思えたのだった。
大人になれば“世間ズレ“するから、大人はあからさまには言いやしない。だが、子どもは素直だ。
家の中や、中国人のいないところでは、大人たちは日常的に中国人の悪口を言っているのだなと思ったものだ。

当時は、日の丸を縫い付けて旅している若い貧乏旅行者もいた。
「何だ?」と思ったこともあるが、正解だなと思ったものだ。
面と向かってバカにされたら言いようもあるが、ただ、ヒソヒソ蔑まれるだけじゃあたまったもんじゃない、日本を誇示するわけじゃあない、快適な旅であるようにとの単なる自己防衛だ。

それにしても当時の日本人は信用・信頼があった。
今は、どうなのだろうか?

懐かしのバーミヤン。破壊される前の遺跡とブズカシ(競技)後の勇者たち。

3遺跡IMG_6539   4勇者たちIMG_6541



令和2年6月29日(月)、晴れ。
アメリカやフランスの事件を機に人種差別がクローズアップされているが、「どこか違うなあ」という思いもあり、体験から差別や偏見に類することを思い出していたらまず「チノ」の件を思い出した。まだ思い出しそうだ。

の頃は ♬ 荒野をめざした ♬ つもりだった。
なあ。


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