FC2ブログ

カイロと学歴・・・Vol.2358


広島のワイロも呆れるが、まずはエジプトのカイロの話。
まだ石井さんの本に取り込まれている。
まったく熱しやすく冷めやすく影響されやすい自分だ。

地域で活動、活動と言うと堅苦しい、チョロチョロと動いてボランティアなどをしていると、が適当だ。
そんな地域活動だがやってみると、つくづく学歴・経歴などとは無関係な世界だと感じている。
地域でワイワイあるいは静かに生きるには、特に学歴は全く関係がない
「どこを出ましたか?」などとは誰も聞かないし、自分から言う人もいない。今の行動だけがすべてだから過去は意味をなさない。
中には聞かれたい方もいるかもしれないが、地域でおせっかいをしている人は、みな小島よしおのようなひとばかりで「そんなの関係ねエ」人がほとんどだ。
私たちのところのボランティアのレベルだからかもしれないし東京といっても田舎だからかもしれないが・・・。
ただ経歴はある程度問われるが、たいしたことではない、地域で何をしていたか? 何をしているか? 程度のことだ。道端のごみをたまに拾っているでもなんでもいい。
どんな仕事をしているかという仕事の話でもない。仕事は何でもいい。地域活動では、「仕事に貴賤なし」が身に沁みる。食べていけて悪事に手を染めていなそうであればいい。
だから何の仕事をしているとか何をしてきたかとか役職とかが意味を持たない。
ボランティアでも組織があるから会長とか会計とか書記などと役割があるが、これも偉いとかヒラとかの上下関係ではない。便宜上の当て職で組織を回すための単なる潤滑油みたいなもんだ。

ところが都知事選を見ていると学歴にご執心な方がいる。それがないと自分の存在が無になってしまうかららしい。その人は石井さんの本の主人公だが、選挙公報の略歴欄に「カイロ大学卒業」とまだ書いていた。
早く政治家を辞めて地域活動でもしたら気が楽になるだろうにと同情もする。
「この道を選んだのよ」「余計なお世話よ!」かもしれないが、『女帝〇〇』を読んだあとだから余計に「痛ましく」「哀れ」にさえ思ってしまった。林真理子の言う「抒情が漂う」意味が少し理解出来た。まさに『砂の器』似の“宿命“が流れている。

当然今回も立候補に当たってソコを突っつかれたらしいが、ゾクッとしたのは、その場面をTVなどで見ていないから真偽のほどは分からないが、今度は前もって用意したのだろう「在エジプトの日本大使館」からのお墨付きを見せたらしい。段々と“嘘“の階段もステップアップしているようだ。もう引き返せない。

本によれば、「築地も残します!ジャンヌダルクになります!崖から飛び降ります!」と築地の女将さん会で叫び、感激した女将さん会の会長が会場を去り車に乗り込む彼女の後を一人で追った。感激のあまりに一言お礼を伝えたかったのだそうだ。ほかには誰もいない。「焼かれるのは嫌い。だからジャンヌダルクは嫌いなのよ」と彼女は会長に言ったという。冗談のつもりだったか本音だったか・・・。
いずれにしろ、この頃はもう自身は崖から飛び降り修羅の途に入っていたのだろう・・・か。
後になって、この会長は「この嘘つき!」と絶叫する。

カイロ大学の授業は口語ではなくすべて4世紀以来の文語でやるそうで優秀なアラビア人でも進級することさえ至難の業だと言う。小池知事のアラビア語力(口語)を各種テープにとって現地人のしかるべき人に誰の言葉かは伏せて確認して貰ったジャーナリストがいるらしく石井本では「その結果は、彼女のアラビア語(口語)は、英語で言えば中学1年生のレベルだった。しかも、文脈がしどろもどろ・・」「とても文語を理解できる人とは思えない」と笑われてしまったと言う。
このひとつをとってみても石井本を信じたくなると言うもの、今は実際信じてしまっているのだが、だからゾクッと空恐ろしくなってくる。

以下はTVのサスペンスドラマに侵された酔っ払いのたわごと・・・。
大使館に手を回せるものは誰か、権力の座にあるもの、そうは多くはいない。
カイロで2年間ばかり一緒でルームシェアしていた女性Hさん、今もカイロで暮らしているらしい。死人に口なしで“消されるのではないか!?”と本人も不安な日々を送っているらしい。ノンフィクションを読んで勝手に推理小説を読んだ気になり、見過ぎたTVドラマのようになっている。
石井さんは「イカロスの翼」という章を起こしているが、太陽を目指して飛ぶが、ロウが溶けて届かない、と例える。総理の座を目指す“陽の御子”たらんとする彼女の様をこのイカロスの翼に込めているようだ。

令和2年6月27日(土)、曇り、時々陽が差した。
彼女は1971年(昭和46年)から1976年(昭和51年)にカイロに住み大学に通ったという。
驚いた。
実はこの頃、私もカイロに居たのだ。彼女と同じ空を見ていたことになる。
ただし私はカイロ大学ではない。神に誓って断言できる。“ただの風来坊“で旅の通りすがりだっただけだ。これが大使館などのお墨付きはないが私の写真。背景は同じピラミッドだが、私は彼女のように撮り直しはしていない。が、あの頃野心があれば着物姿で撮ってもらっていたかもしれない、ムチの代わりに偽の証明書などを持って・・・。しかし、私の方が歳は上だが、そんなことは思いもよらなかった。やはり器が違ったのだろう。

1ラクダIMG_6374   2ピラミッドIMG_6376

そう言えば、その頃は私も“偽の大学卒業証明書”じゃないが“偽の大学生証明書”を街角で作ってもらったことがあった。カイロでなくインドでのことだった。日本の某大学を“きちんと卒業”してからインドへ行ったので、もう本物の学生ではなかった。当然首席でもなんでもなかったが・・・。
何故買ったかというと、インドからネパールへ飛行機で飛んだが、“学割が効く、大変安く乗れる”“俺たちはみんな偽物を作って乗っている。だいじょうぶだ!”と旅先で知り合ったヒッピーが言ったからだった。
悪い事と知りながら手を出した。おかげで金は大分浮いたが、後味が悪くそういう件はあれきりでジエンドとしたものだった。今、思い出しても、小心者の私は、エア・チケットを買うアノ時の「バレはしないか?」というドキドキ感が蘇る。結果は簡単にOKだった。相手は知りながらも旅行者には寛大だったのかもしれない。
あの頃のインドは、そんな時代だった。偽の証明書が街角で簡単に作られ通用した。
おそらくカイロでも“普通”にあったに違いない。
それは現地だけのものとすることがヒッピーでも”普通“の常識だったが、彼女はそれを日本で使ったのだろうか?最初は誰の目にも偽物とわかるコピー品だったろうが、脚光をあびるにつれて上級品になっていったのかもしれない。
「最大の売りになった。もう引き返せない、もう引き返すつもりもない」「修羅になる」とどこかで決心したのだろうか?
異国の地で不安げに暮らす20歳ころの彼女はまだ無邪気さも残り、まだ修羅の途には入っていなかったはずだ。どこで、どうなってしまったのだろうか・・・。

「ひょっとすると、あの頃、カイロの街中でビルを挟んだ1本向こうの路地を夢膨らます彼女が、あるいはHさんが歩いていたかもしれない」というところで、お決まりの止まり木ドラマ「懐かしの青春篇」妄想は幕となった。

長くなった。今夜のお休みの1曲は、やはり ♬ 砂の器 宿命 ♬ だろうか。



今日もご訪問くださってありがとうございました。
From Tokyo With Love 東京より愛をこめて
早く安心安全な日々が訪れますように! では、また。




関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント