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ロクデナシと志①・・・Vol.2347


若いころ、仕事が終わりよく飲みに行き歌った。
シャンソン好きな上司が♬ロクデナシ♬を歌い、皆、指さされたものだった。
“ロクデナシ“のようなものだと思っていたからかもしれないが、「ムッ!」とはならず和気あいあい笑っていたものだった。当時はパワハラなどと言う言葉も知らなかった。

ロクでもない人生だったかもしれないが、もうしばらくすると幕引きが確実に訪れる。
久々にカラオケにでも行って“ロクデナシ”などと声を上げたいが、そうもいかない。
防虫スプレーを手首・足首などに振りかけて、足元に蚊取り線香を焚き、庭の止まり木で一杯飲りながらアレコレと妄想するのが関の山だ。

昨夕の妄想は格調高かった。
“志“だった。
学校を起こした人、企業を立ち上げた人、皆それぞれに創学の精神や創業の想いがある。
私の家の近くにも創業から100年を超えたという和菓子屋の支店があるが、店の壁には「先義後利」と創業者の教えが掲げられている。

最近知ったばかりのことで恥ずかしいが、社会福祉施設も例外ではない。施設を創った創始者がいる。昨今の創設者の質・志は分からないが、明治・大正・昭和も戦後ころまでは傑物がゾロゾロいたようだ。

福井県に光道園という福祉施設があるが、中道益平という男が創始者だ。
1907年に生まれ、14歳の時に父親が死に自転車に魚を乗せて行商し家族を養う。やがて京都に出て水産会社で頭角を現すが18歳の時に右目失明。失意の時を乗り越えて百貨店に勤務、ここでも若くして出世、万事好調と思われたが、26歳の時、突然に残る左目も失明し全盲となり失職。病院暮らしが続き、人間好きが人間嫌いとなり、ただ病院の庭石にひとり座っているばかりの日々が続く。庭石の下に根付く雑草に触れたことから啓示を受けハッと我に返り死神が飛散したのを感じ死から生還。昭和9年に盲学校に入学。
盲学校で、生きていく術“あんま”を身につけて卒業後に業とする。学生時代、駅頭でヘレンケラーの話を聞く。もちろん通訳者・岩橋武夫(日本ライトハウス創業者)の声だ。ヘレンケラーは3回来日したが、中道は3度とも会っている。最後は京都での再会だったと言う。

話は脱線するが、今も昔もマスコミにも変わらず“西欧かぶれ”の向きがある社もあり、そういう人もいる。自国の誇れることには冷淡で他国をヨイショばかりする姿勢の人のことだ。
「ヘレンさん、あなたはすごい!」と某社の記者が言ったそうだ。
何をおっしゃる。貴国には私よりすごい偉人がいらっしゃるではありませんか!」とヘレンケラー。
残念ながら某社の記者はそのわが国の偉人のことなど知らず、??で終わり。

(長くなりそうなので中断、続きとする)

1拡声器IMG_6368

防災無線の拡声器似のはなが庭の片隅に咲き出した。

令和2年6月10日(水)、午前10時半、今日も暑くなりそうだ。
隣家にはみ出したノウゼンカズラの枝でも切り落として来よう。

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