W杯2014ブラジル3・開幕前夜3:イビツァ・オシム・・・Vol.21・2014.5.11

「ボスニア・ヘルツェゴビナ、W杯初出場おめでとうございます!」
遅まきながら、心からの祝福を、イビツァ・オシムさんとボスニアの人たちにに捧げます。

2005年12月に発行された木村元彦著『オシムの言葉』は衝撃だった。
すでにジェフの監督オシムから発せられる言葉は通訳の間瀬秀一を介して人々を虜にしていたが、この木村の本によってさらに多くの人の耳目を集めた。
「アイデアのない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない」等々、オシム語録が綴られる。
サッカーゲームだけでなく、その背後、社会や人生そのものに迫る木村の筆力も凄い。
金子達仁や小松成美も好きなライターだが、木村元彦のタッチが一番好きだ。
彼の『蹴る群れ』もいい。

5月6日、NHKBSでオシム特番が放映された。この日は、サラエボに生まれたオシム73歳の誕生日。NHKも憎く洒落ている。

W杯最終予選、あと1戦・リトアニア戦を残して勝ち点でギリシャと並ぶ。リトアニアに勝てば初のW杯出場だ。
ギリシャが勝っても得失点差で、ギリシャが余程の大差で勝たない限りボスニアのブラジル行は決まる。
インタビューアーが聞く「大手をかけましたね、最後まで見届けたいですか?」と。
オシムは言う「そんなロマンチックな話じゃないんだ。祝うときにだけ人は集まり、そうじゃないときには引いていく・・・」。
あまり大きくなさそうなレストランでの取材のようだった。
店の人に「豆の煮込みと地酒はあるか?」と聞くオシムの袖を引っ張るのは、日本でもお馴染みだったあのアシマ夫人だ。”あなた、からだのことを考えて!””今日はチョッと一杯くらい、いいだろう?”と可愛い奥さんと大きな体のオシムとのやり取りが聞こえてきそうな風景だった。

最終戦、祖国を去らざるを得なかったボスニア人たちが世界中から集まってきた。「俺はアメリカから駆けつけた」「僕はもうイタリア語のほうが得意だが、ボスニア人だ」「どこにいてもボスニアのことは忘れたことが無い」。応援の掛け声は「愛しているぜ!ボスニア!」だった。
1991年のサラエボ戦渦から20数年、この日、チリジリになった同胞たちは、サッカーに希望の灯を見い出していた。

「戦争が終わり、すべてが荒廃したなかで、一生貧困のままだろうと人々が考えていたとき、サッカーがそこにあった」「サッカーが盛り上がることが、ボスニアには必要だった」「人々は誇りを取り戻し、何かに近づいた気持ちになる」とオシム。

リトアニアとの最終試合は、エース11番エディン・ジェコ(マンチェスターC)がアシストし、9番ベダド・イビシェビッチ(シュツットガルト)が蹴り込み、1:0でボスニアが勝った。W杯出場が決まった瞬間だった。
歓喜溢れるピッチに、サッカーに生きる希望を見つけた一人の車椅子の青年がいた。彼にマイクが向けられた。
「スペインやフランス、ドイツなど大国には普通なことだが、俺達、ボスニアにとっては、大きな成功なんだ」「選手の活躍は、みんなに幸福を与えるんだ」

♪野原は百合の花にあふれ・・・♪ボスニアのシンボルフラワー百合の花の歌の大合唱が響く。

インタビューアーが聞く「ボスニアは、ひとつになりましたね!」
オシムが言う「残念ながら、それは言い過ぎだ、まだまだだ。皆がサッカーを愛する必要はないが、勝利を祝う姿を見るだけでも、国民には喜びとなる、その気持ちが大事なんだ。何かできることがあるという自信を取り戻したに過ぎない」

いい番組だった。

日本はC組、ボスニアはF組。両国とも勝ち上がれば、準決勝か決勝で闘う可能性がある。
確率はきわめて低いのが現実だろうが、それこそ誰もが言う「人生と同じで、サッカーでは何が起きるか、わからない」。
そんな夢を見ることができるのも、サッカーの魅力のひとつだ。
ちなみに、ボスニアが1位となったこのグループで、2位となったギリシャは、プレーオフに回り、そこから這い上がり、ブラジルで、グループステージC組日本の第2戦、で闘う相手となった。

明日は、いよいよ日本代表が発表される。
「祖国を離れざるを得なかったものは、代表チームは、祖国そのものだ!」というボスニア人、それを自分の心とし、深く刻み込むボスニアの選手たち。
選ばれたわが日本代表は、これらを乗り越える情熱と誇りをもって、いざ出陣、と強く願う!
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