防衛・コロナに思う・・・Vol.2095
武漢封鎖に続いて、封鎖報道が流れてくる。
“よそ者、わが村に立ち入るべからず”で辻々に見張り番を置き守りを固める村人の姿や外国のニュースだ。
香港だったか、武漢から戻った人の家の玄関を近隣の住人が外出できないように板などを打ち付けている姿もあった。箒で“近寄るな”と追い払うシーンも流れる。
「野蛮だなあ!」などと、初めのうちは「いやだなあ、本能むき出しだなあ」「知性のカケラもないなあ」などと半ば他人事のように呆れて見ていた。
が、考えてみると、他人のことを笑えない。少し前の時代では“あたりまえ”のことだったようにも思えて来た。
“侵入者を防ぐ“ことは世界のあちこちで行われていたのだった。
ドイツでもイタリアでも街を完全に石(城壁)で囲み、今やそれが観光資源となっているところがいかに多いことか。ローテンブルグだったか、城壁の中では魔女狩りも行われて、魔女が吊るされていたという篭が街中に吊るされていた(14年前はあったが今は?)。
軍事目的が多いが大規模な例は万里の長城か。アフガニスタン・カブールにも長城はあった。
異邦のことでなくても我がニッポンも然り。
吉野ヶ里遺跡までさかのぼらずとも、今も結界門とか道切りが残っていてそれと知れる。



刀と草鞋、サイコロがぶら下げられている。
村の入口に道路を横断して注連縄が張られ、そこに吊り下げてある。
兇状持ち、博徒、ならず者、“わが村に、ここより入るべからず”というわけだ。
災いをもたらすもの、お断りというわけだ。
当然、悪霊や流行り病の者も含まれていたことだろう。
写真はちょうど10年前の今日あたりのもの。
当時も2か所で目撃したが、1か所は車の往来も盛んで道路わきに移されていた。
今もあるのだろうか?



場所は、三浦半島・横須賀市、荒崎海岸付近。近くにソレイユの丘がある。
この村(町)には熊野神社があり、江戸時代や近年の隆盛ぶりが偲ばれる。
寄進された石柱などに「日本橋」「四日市」などの文字が刻まれていた。
偶然に境内を掃き清めていた方と雑談が出来た。元神社総代のA氏だった。今も変わらずにお元気だろうか。
荒崎海岸

令和2年1月31日(金)、13時、快晴。室内温度18度、湿度39。
10年くらい前は三浦半島の相模湾沿いを良く歩いたものだった。コロナで、懐かしい場所場所を思い出した。USBを探したら写真が残っていた。
物忘れの進行はすすむが、物持ちはいい方だ。だが、確かハイキング行程や時間を記したものがあったはずだが、それが見つからない。
ちなみに私はよそ者ではあったが、何のお咎めもなく無事に村に入り、無事に村を抜けて、今こうしてブログを書くことが出来ている。
今日もご訪問くださってありがとうございました。 感謝です。
From Tokyo With Love 東京より愛をこめて
新型コロナ騒動が早く収束し、平穏な日々が来ることを切に祈る
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