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高台の情景・・・Vol.2031

かつて丘や小山などの高所を開発して住宅地とすることが流行った。
1964年(昭和39年)の東京オリンピック、その後くらいからだったろうか。

その天空からの眺望や環境に魅かれた方々が、あちこちに出来た似たような場所に多く移り住んだ。
通勤時間の苦労などは乗り越えて、“我が人生の春“を十分に謳歌したことだろうと思う。

やがて賑やかだった子育ての季節が過ぎ、子どもたちは社会人となって多くが楽園を出ていく。
夢を抱いて移り住んだ頃と同じ夫婦2人だけの長い時が訪れてくる。老々介護の方も、ひとり暮らしとなった方も出てくる。皆、老いて来た。


1高台もP1020484

写真右の丘の上に住宅地の一部が見えるが、ここもそういう高台に開発された住宅地だ。
葉山御用邸を見下ろし、相模湾上に浮かぶ富士山が美しい。

2富士山P1020482

「ここで一服し、山に登るエネルギーを充電するんだ」と丘の上の老住人Aは言った。
丘の麓にある小さな居酒屋で一杯飲っていた時のことだった。
丘の上までバスが通るはずだったが採算が取れないということで通らず(あるいは最初はバスが来ていたが採算が取れずに廃止になったと言ったか今は定かではないが)、丘の上には商店もない。買い出しは以前は車で降りていたが、今は車の運転は危なくなったので止めて徒歩だと言う。子どもたちはヨコハマや東京へ出たままらしい。
「さあ、酔っぱらわないうちに帰るか」と、Aは少し寂し気な後ろ姿で店を出ていった。
丘の上までひと汗かくのだろう。

私の赴任先も同様で、大きな山(丘)を開発して出来た新しい村の中に在った。
「国際〇〇村」と名付けられ、某県が力を入れて開発した。世界中から人を呼びここを国際会議のメッカにしようと各企業等に招致を呼び掛けていた。ダボス会議なども念頭にあったようだ。あわせて海外からのホームステイを可能とした住宅団地も造成した。

企業招致には成功したが、残念ながら国際会議のメッカとはなっていないように思う。しかし、ここに乗り込んで来た各社とも研修施設・研究施設等として今も活性化に励んでいるようだ。
村の住宅は、他の丘の上の団地同様に子どもが育てば離れていく運命にあるようだが、バスは走っているし、何より、それを承知で移り住んで来た人が多いようだ。
以前、この村の「村だより」に「世界中で働いて、いい場所を探して来た。一生の終の棲家を探して来た。やっとここに安住の場所を見つけた。見下ろす海、浮かぶ富士山の美しいこと!世界中で一番素晴らしい住み家だ」と書いている人がいた。
覚悟して選んだ地は、今日も絶景の中、最高に輝いていることだろう。


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