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札幌・藻岩山ハイキング No.8・開拓余談・・・Vol.1959


1771年、帝政ロシア・ピヨートル大帝の命を受けたコザックの首長コズイリョフスキーは北千島に進出。コザックは徐々に南下し、7年後には根室に現れ松前藩に交易を要求した。今まで北への関心が極めて薄かった徳川幕府は驚き、奥羽諸藩はじめ仏教各宗派に蝦夷地防衛とあわせて開拓を命じたのだった。徳川家菩提寺・芝増上寺にも命が下った。

その後増上寺では、大谷玄超上人に白羽の矢がたち、彼は北海道全域を歩き布教を開始。いずれ札幌が北海道の中心になるだろうと確信した大谷上人は札幌に寺を開帳、明治17年に寺号公称が許可された。それが浄土宗・新善光寺。当時は正真正銘の芒の野原の中の一軒寺、今は繁華街“すすきの”のど真ん中やや脇といっていい場所で周囲の喧騒の中、唯一の静寂な地となっている。

その大谷上人の呼びかけで新善光寺檀家信徒が藻岩山の原始林を切り開き、明治19年5月末、ひと一人通れる山道を付けた。6月1日、山開きとなった。以来、今年で134回目の藻岩山の山開きを迎えた。

新善光寺住職第1世・大谷上人は、藻岩山を霊験あらたかな山にしたいと願い、それが札幌、北海道の発展につながると信じ、山道に33体の観音像を安置することとした。初代北海道長官・岩村通俊も共感しポケットマネー100円をポンと出したという。
山開き後やや経って、依頼していた佐渡の仏師から巨大な重い観音像が届いた。人力で運ぶことが出来ず、作り直しを依頼。その間、“掛け図“を木に掛けてお詣りしたという。

作り直された観音像を安置出来たのは、新善光寺第2世・林玄松上人の代になってから。明治34年のことだった。山道に33体の観音像を安置したのだった。檀家信徒が観音様を背負って切り開いた山の細道を登ったという。

現在山道にある像の多くは、新善光寺2世・林玄松上人の弟子・中田松念尼(観音寺初代住職)が昭和37年までかけて作り直したものが多いと言う。
また、藻岩山山頂にある奥の院は当初は新善光寺第2世が建てたものだが、現在は、登山道・札幌慈啓会病院入口脇にある観音寺所属となっている。

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ちなみに、慈啓会病院は、新善光寺の第2世・林上人が開設した札幌養老院を起源とし、現在も当時と同じ場所にあり、今は拡大発展して老人ホームなど各種福祉サービスを行っている、そうな。

♫ 地上の星 ♫ 有名無名の巨星たちが偲ばれる。




令和元年7月16日(火)、正午過ぎ、曇り。


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