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空の彼方へ逝く・・・Vol.1802


昨日1枚のハガキが届いた。
「OMが永眠しました。64歳でした」「生前の本人の希望で葬祭後に友人等に伝えてくれ」等と書いてあった。
OMの奥さんからだった。

今年OMからいただいた年賀状には「昨年11月の大学グリークラブ70周年公演で久しぶりに歌いました」などと書かれており「元気だな」と思っていたので大変驚いた。
すぐに奥さんに電話を入れた。
「3年前に前立腺がんと診断されていて3年の寿命ですなどと言われていたんですが、本人は何も変わらず普通に生活していました。この1月12日に少し変調を来し、最後の2週間はホスピスでしたが、2月28日に逝きました」「覚悟はしていましたから」「自由に生きてきましたから」などと奥さんは努めて明るく話してくれた。

彼が入社してきたのはもう40年以上も前になる。
あの頃はマニュアルという言葉はあったが、まだ今ほどではなかった。彼は盛んに「マニュアルが必要だ・・云々」などと言っていて、私はふざけて時々「おい、マニュアル君!」などと彼に言ったものだった。
OMは昭和の終わりごろ突然「ペンキ屋になります!」と言って会社を辞め自営業になった。彼が辞めてからも、私とはタイプが違ったし年下だったが、なぜか波長があったのだろう、時々会った。
私は仲間と共同で信州の某スキー場に掘っ立て小屋(一応別荘と呼んでいる)を持っているが、ある時、「別荘の玄関回り、壁が剥げかかっていたので勝手に塗装しておきましたよ!」などと彼から電話があったりしたものだ。
その後も時々会ったが、その時は「今度仕事を変えまして、今はこういう仕事をしています」と言う転職の節目の時が多くなった。「よく変わるなあ、自由人だなあ」などと言うと、「いやー、いろいろ経験してみたくって」などと人を羨ましがらせるようなことを言うのが常だった。

その後、ここ10年ばかりは年賀状のやりとりだけになっていた。
転職はしていないナ、落ち着いたか、などとは思っていたが、まさか亡くなるとは!
会っておけばよかった!あの人なつっこい顔が目に浮かんでいる。

        逝く空に 桜の花が あればよし


逝く空DSC_0655

三波春夫の辞世の句だが、OMも新潟出身だった。
ご冥福を祈ります。

彼に流行歌は似合わないが、詩が似合うので ♬ 人生おけさ ♬ で送ろう。


今日もご訪問くださってありがとうございました。 感謝です。
From Tokyo With Love 東京より愛をこめて

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