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高校受験不合格、異議あり!・・・Vol.1700


(*『花に逢はん』読書感想文、というか図書紹介、まだ続きます。)

昭和36年1月20日、全国9か所のハンセン病療養所で一斉に入学試験が実施された。ハンセン病者が唯一学ぶことが出来る岡山の高校へ入るための試験だ。
Aは鹿児島の大姶良中学星塚分校で受験した。

全試験科目に立ち会った森本校長は試験終了後、ひとりずつ校長室に受験生を呼び、非公式に講評を行った。
「A君、頑張ったな!理科に一問だけ間違いがあったが、あとはグッドだ!」と校長は言った。

2月20日、合否が校長に届く。
Aを前にして校長は呟く。
「おかしいんだ。君の名前がないんだ。今、岡山に問い合わせている」と校長先生。
鹿児島からは8人が受験してAだけが不合格だった。Aは学業はほぼトップ。
校長が高校に問い合わせても「応えられません」で埒が明かなかった。

Aはひょっとしたら、と思い当たる節があった。
受験者には医師の健康状況所見書提出が義務付けられており、診断した医師は「これはきついなあ」などと呟きながら所見書に書き込んでいたのだ。嘘は書けない。
Aは、両手指機能全廃、両手首・左足首下垂、・・・そうか「身体的理由」かもしれない、と。
全寮生活だから、この身体では無理と判断されたのかもしれない、と直感した。

Aは「らい予防法」「教育小六法」を読み込み、岡山県教育委員会宛に手紙を出した。
「~岡山県邑久高校新良田教室は、そもそも何を目的として創られたのでしょうか?~ハンセン病者にも教育の機会を与える、これを実現するためだったのでは~校長先生は、試験結果は他の者に劣るところはなかった、不合格は理解できないとおっしゃってくれています~不合格理由が私の身体機能にあるとすれば、これは私の努力範囲を超えてしまい、どうすることもできません~理由をぜひ教えてください~今まで集団生活もひとりでやって来ました。体育も皆に勝ることはできませんでしたが、参加をあきらめたことはありません、自分なりにいろいろと工夫してやってきました~学びたい。ハンセン病者のための学校から門を閉ざされたら、私はどこの高校を目指したらいいのでしょうか?~~」

投函してから10日後に突然、森本校長がAに言った。
「岡山教育委員会の先生が来ている。生活ぶりを見たいそうだ。君は手紙を出したそうだね」と校長は言った。
そして「教育委員会が来ていることは内密に、だそうだ。君には知られないように君を見るということだ。が、いいか、いつもより元気にふるまっていなさい」と校長はそっと付け加えた。

その一週間後、岡山県邑久高校新良田教室への合格通知が届いた。
定員30名のところ31番目の合格者となったのだった。

(こんな校長も好きだが、岡山県の教育委員会にも拍手を送りたい。最近は情けない教育委員会がよくTVに出てくるが、今も岡山は気合がはいっているのだろうか)

この世界に類のない高校(教室)は昭和62年に閉校している。
卒業生は307人、そのうち280人が社会復帰したという。

邑久高校新良田校歌はAの原点だそうだ。

緑の島は空晴れて 世界に続く瀬戸の海 理想は高し若人が
ここ新良田に結ばれて 学ぶ我等に希望あり

赤きいらかの夕映えに 心に響く鐘の音 使命は重し若人が
久遠の真理たずねつつ 学ぶ我等に誇りあり

荒磯の浜風かおり 朝日に映ゆる白き壁 誓いは固し若人が
平和の光求めつつ 学ぶ我等に励みあり 


瀬戸内海に日が沈む。

瀬戸内海IMG_4432


今日もご訪問くださってありがとうございました。 感謝です。
From Tokyo With Love 東京より愛をこめて
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コメント

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No title

邑久高校あらた教室は定時制高校でした
卒業名簿には彼の名前はありませんでした?
この校歌は同窓会員名簿には載っていません?
あらた教室の先生の名簿は載っています
あらた教室はの存在さえ知らなかった!

No title

ググってみたら、にいらだ教室だった、長島の中にある4年生の定時制高校だった

名無し

あおいぞらサン、閉校記念実行委員会から記念刊行書が送られてきたそうです。
歴代の先生、事務職員、舎監等の名前は掲載されていたが、卒業生307名の名前はどこにも掲載されていなかったそうです。
写真も、生徒の顔は、遠景か後ろ姿、正面の顔は万線処理が施され誰かわからないようになっていたそうです。Aさんはニイラダと呼んでいましたが。この教室の存在(あるいは本当の姿)は、一般の人や邑久高校の人にさえ知らされていなかったのですね?