ヤマト上陸~松田ナミ医師・・・Vol.1699
(*『花に逢はん』読書感想文、というか図書紹介、が続きます。)
昭和35年、ハンセン病のAは父と海に飛び込むことなく生きて鹿児島に上陸した。
沖縄脱出、希望の地ヤマトへ無事たどり着いたのだった。
鹿児島で手配してくれた人々の手で国立療養所星塚敬愛園に落ち着く。
しかし、簡単にはいかなかった。施設自治会と園側では事前に黙認了承案件となっていたが、実際にAが到着すると話がこじれた。
「沖縄は米軍政下ですから、厚生省に指示を仰がなければ・・・云々」と職員。
「おかしいじゃないか、今頃になって手続き論をもちだすとは!」
「この子を、沖縄に追い返すつもりか!」等々支援者は抗議する。
「書類が・・・」と職員。等々。
最終的には、「私が書きましょう。“ここで加療が必要”と書けばいいですか?」「私が全責任を負います」~松田ナミ医師だった。
太平洋戦争末期の沖縄戦当時、松田医師は沖縄愛楽園の医師だった。
愛楽園は潜水艦基地運天港に隣接してあり、米軍に軍事施設と誤認され特に激しい攻撃に晒された。ロケット砲弾約1000発、機関銃弾10万発が降り注いだという。
ハンセン病患者200人は、療養所内5か所に掘られた防空壕に避難し、松田医師は砲弾飛び交う中、防空壕を行ったり来たり飛び歩いた。
沖縄占領後しばらくして米軍は戦後処理布告を出し、琉球列島住民以外の強制退去を命じ、松田医師は愛楽園を去ることになる。
さて敬愛園に受け入れられたAだったが、この年の高校入試はすでに終わっていた。来年の受験までの1年弱をここで暮らすことになる。岡山への道はまだ半ば・・・。

今日もご訪問くださってありがとうございました。 感謝です。
From Tokyo With Love 東京より愛をこめて
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