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マチュピチュ・4・開拓者・(彼方へ4)・・・Vol.1656


ペルーは日本人と縁が深い。
マチュピチュ村、昔はアグアスカリエンテス(熱い水)村と呼んだらしいが少しずつ世界に名を知られるようになりマチュピチュ村と名前を変えたと言う。
その初代村長野内与吉、日本人だ。TVでも何回か取り上げられたのでご存じの方も多いと思う。
福島県の出身。1917年、22歳の時、大志を抱いてペルーに渡った。その後南米を転々とするが6年後の28歳の時にペルーに戻りマチュピチュにやって来る。アメリカ人ハイラム・ヒンガムがマチュピチュ遺跡を発見して間もないころだが、まだ遺跡は世界にはほとんど知られていない。
彼は貧しい小村のために各種事業を起こし村の発展に尽力する。

村の温泉につかりながら、そんなことに想いを馳せることも旅の魅力だ。
(マチュピチュの温泉は露天は露天だが、日本のたとえば信州・戸倉上山田の露天風呂の趣きとは違い、大きなプールのようなものだが・・・)

多くの人はクスコから名高い展望列車に乗ってマチュピチュにやって来るが、私はバスでほぼ1日かけてやって来た。道中半ばのオリャンタンタイボ村までは列車もバスも同じような道なりだが、この村を過ぎるとコースが変わる。列車は川沿いの谷底を走っていくが、バスはアンデス山脈を超えて行く。登ったり降りたりを繰り返す。登り切ったと思うと周りは雪景色。下ってホッと一息つくとバナナの樹が現れ気候も変わる。オリャンタンタイボの手前では花が咲きTシャツ姿でよかったが・・・。
途中、アンデスの岩山を繰り抜いて水路を造ったのだろう、水が滝のように流れていたりして、「ああ、インカは凄いな!」と思う瞬間が垣間見られたりする。

24雪景色IMG_4823

27オリャンタンタイぼボ手前IMG_4818   26暖かで花IMG_4820

25水路岩をIMG_4825

やがてサンタ・マリアという村に到着、ここからバスは南に進路を変えて目指すマチュピチュ裏・イドロエレクトリカに向かうのだった。

♪ 地上の星 ♫ 中島みゆきもいいが、ここに出てくる映像も好きだ。


今日もご訪問くださってありがとうございました。 感謝です。
From Tokyo With Love 東京より愛をこめて
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