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ゴウリキ・・・Vol.1567


ゴウリキといえば俳優の男女の顔が浮かぶ。
男の方はTVハゲタカで熱演。女の方は、最近は彼?の方が話題をさらっている、宇宙事業に乗り出してきそうなITの出世頭の彼だ。

彼らほど有名ではないが昔は各地にゴウリキがいた。
強力者だ。
雨のおかげで少しだけ読書が進み、「第6章 強力群像」(『杣人の村』横山篤美著)のところで今、中休みをしている。

車でも牛馬でもなく、背負子(しょいこ)に荷をくくるなどして荷物を運ぶ稼業の人たちを強力、ポッカ、持子(もちこ)、カルコ、連雀などと土地によって呼び方は違っていたが、財を成した人や怪物がいたと著者は書く。
新宿中村屋の創業者は相馬愛藏だが、出身は信州安曇穂高で、そこの先代の爺様は持子で幕末頃、紫雲英(れんげ)の種子を美濃から背負ってきて農家に売りさばき産を成したという。レンゲは良い肥料となり良いコメが採れたことから上米草(じょうめぐさ)とも言うのだそうだ。当然美濃に出かけて行くときには山ほどの何かを背負って行った。
博徒くずれの流れ者・万吉の話も面白い。
穂高岳の山頂に三角点の標石・18貫(約67kg)に測量器具等をくくりつけて一人で背負い上げた。明治28年、万吉27才のことだという。

新田次郎の名作『強力伝』の一部に不審も抱く。
主人公正作の使う背負子のことだ。
白馬岳の地元、梓川の谷では、一代荷を背負ってきた人たちが「それ、ほんとかや」というのだそうだ。
白馬の地元の強力から「牛ころし」の木で作ったものをもらったから正作はこの仕事を引き受けたという、固く重い木だからというくだりだ。
野麦街道の飛騨のポッカも50貫は背負うが、背負子は軽い木だという。
白馬の地元の強力も作っては見たが不向きで納屋に放り込んでおいたのだろうという。そんな硬い重いものを使うことはまずないと著者の横山さんは言う。

「ばんもち石」も昔はどの村にもあったと横山さんは書く。
若者がこれで力試しをした。初級用が25貫、中上級が30貫台、この2つの石はどの村にもあったそうだ。それ以上の石は一部の村にしかなくて、怪力無双自慢は他所村に出かけた。
松本西在田々井村務台忠治は馬の手綱をひいたまま42貫の石を軽々かつぎあげたという。

前置きが長くなったが、じつはこの「ばんもち石」が私の家の近くにある。
御霊神社だ。
ココには石が3つある。大は56貫だ。怪力自慢がいたのかもしれない。

1力石IMG_4957

かつてはこの地にも56貫・210㎏の大石を担ぎ上げた剛の者・チカラビトが住んでいたのだろう!
今は触る人はいるが、持ち上げようなどとする強力なものは見たことがない。



今日もご訪問くださってありがとうございました。
From Tokyo With Love 東京より愛をこめて

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