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声を出す・・・Vol.1563


晴耕雨読。
久々に少々雨読となった。晴耕はあまりしないが雑草取りはするので、マアこれでいいだろう。

先ずMから借りている『杣人の村』を読み始めた。
260ページばかりの本だが半分まではきた。
江戸末期から明治頃の山村の実録もので、貧しさと激しさとオドロオドロシサなどが詰まっている。そんなに昔のことではない。
「そうだった!」などと思い当たることもある。

「食うためだけに生きてきた時代や人たち、むらの掟」などがそこに描かれ、そんなに昔のことでもない。
「止まり木でビール」などとは言えないナ、などとも思わされ、本の内容に疲れて今は一服している。

そういえばと思いPCでMのブログを覗いてみたら「お経とバッハ」などと書いていた。
「お経」といえばすぐ連想することがある。

坊さんでなくても某宗派の人たちは毎日自宅でお経をあげており、いいな、と思ったことがあり、今もそう思っている。
教義などはいざ知らず、「姿勢を正し大きな声を出す」ことが、いいな、と思うからだ。健康にもいいはずだ。
そんなことで般若心経を買ってやってみたが長続きはしなかった。

2年ほど前のこと、長野県の安曇野で70代の男性の話を聞いて驚いた。
ひとり暮らしで、1か月ばかり、誰とも会話せずに暮らしていたところ、遠方の娘から電話があり異変に気付いたのだという。
「おとうさん!どうしたの?!」と娘は言ったそうだ。
「うん?」と思ったが娘が何をいっているのか理解できなかったという。
自分ではきちんと話をしているつもりがきちんとした言葉になっていなかったのだそうだ。
たった1か月ばかりだったがだれとも会話しなっかたせいで話すことが出来なくなっていたのだった、と振り返る。
「それで億劫だったが、アブナイと思い、今はこうして少しボランテイァをして人と会話をしてるんだ」と極めてきちんと話をしていた。

その話を聞いて、忘れていた般若心経を取り出してみたが、しばらくしてまた終わっていた。
さっき、Mのブログを見て、そんなことを思い出している。
ちなみに『杣人の村』の舞台は安曇野で、そこの話。かつては村の掟を破った者が3日間吊るされる“野荒らし柱の立つ”村だった。

中央公園android-20180919210330

道端の雑草、小豆くらいの花だった。よく見ると可憐だ、スマホでパチリ。
安曇野にも咲いているかもしれない。

今日もご訪問くださってありがとうございました。
From Tokyo With Love 東京より愛をこめて

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