古代の丘へ・・・Vol.1499


お兄さんに道を尋ねたときは咄嗟だったので「古墳の丘は?」などと口走ってしまったが正しくは「古代の丘」だった。それでも意図は通じた。
しかし住宅団地の頂上あたりまで来てもそれらしきものは微塵もない。
炎天下も手伝ってか人は人っ子一人見当たらない。道を尋ねようにも聞き様がない。
すぐわかるだろうと高を括って来たので地図も持ってこなかった。
「仕方がない、使うか」とスマホの電源を入れた。
うっかりして充電をし忘れていて、宿を出たときには充電切れ寸前だったので、いざという時のために電源を切っておいたのだった。
スマホの地図で位置を確認すると、今来た道を少し下り、住宅街の中を左に抜ける、抜けたらちょっと右に下ると丘への道があった、これが一番近道だなと確認してすぐ電源を切った、まだ少し使える、いざという時のためだ。
「おお、ここだな!」
林の正面に石組みの遺跡らしきものが現れた。

道が尽きると草むらが現れた。
ほとんど人は訪れていないのだろう。草は茫々で踏みつけた跡さえない。
「古代の丘・古曽志公園」という名で一応公園ともなっているのに、隣には住宅団地もあるのに、子供さえ遊びに来ないのか、などと丘に同情ししばし感傷に耽った。


古代を復元した石組みの周りをまわって、丘の頂上への入口を探し、登った。
眼下には宍道湖が広がっていた。
気付いたこともある。
私は古代の丘の裏口から入ってきたのだった。
眼下には何段のもテラスが続き、やがて下方は大きな駐車場らしきものに突き当たっていた。
コチラが正面入り口だった。
帰りはこちらに降りた。少し降りかけて振り返ると復元された古代の石組みが「ごくろうさん」とほほ笑んでもいるようだった。

歩きで訪れる旅人は居ないのだろう。
電車の駅には一切なかったが、大駐車場の入口周辺には、丘の看板やら案内板やらが立派にかかっていて車で来訪する人のためにはとても便利にできているようだった。
「出雲の国風土記」にはこのあたりの地名が出ているそうだが、車の出現は予想ダニできなかったことだろう。

今日もご訪問くださってありがとうございました。
From Izumo With Love 出雲より愛をこめて
まだまだ出雲路は続く。
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コメント
宍道湖とヤマトシジミ
春 の 季 語 シ ジ ミ も ヤ マ ト は 夏 が 旬
2018-08-02 10:27 六 URL 編集
秋鹿郡あきがのこおり
国引き神話にある「引いてきたという”狭田の国”の中心地」であったとか。出雲統一前の小国だとか。
卑弥呼登場前の倭国騒乱の頃、大和(族)や出雲(族)などが大国のひとつで、やや出雲が強大だったのでは・・・・。
やがて出雲は戦いに敗れて大和王朝の時代に・・・。などと、ここに来ると夢想します。
2018-08-02 11:51 浮雲 URL 編集