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コンスタンチノープルから、飛んでイスタンブール・・・Vol.1367


ボスポラス海峡を挟んで東はアジアで東岸にウシュクダラの町があった。
ウシュクダラから海峡を渡れば西岸にイスタンブールの町が広がる。
半世紀近く前、ウシュクダラから海峡を渡った。
前方の小高い丘に家々が密集し尖塔がところどころ中空に浮かんでいた。異国情緒あふれる街、それがイスタンブールだった。

11旧市街IMG_3840
金角湾から旧市街を望む。

聖ソフィアなど名高い場所のほとんどは旧市街にある。
ガラタ橋が旧市街と新市街を結ぶ。旧市街と新市街を隔てているのが金角湾で、この入り江が内陸に伸びておりボスポラス海峡の河口あたりにガラタ橋が架かっている。

昔、東ローマ帝国が栄華を極め、イスタンブールがコンスタンチノープルと呼ばれていた頃、オスマン帝国軍が攻め入ってくる。
メフメット2世率いるオスマン帝国軍は東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルを海上・陸地に渡り包囲する。が、ローマ軍は金角湾に鎖を張り、金角湾を封鎖する。
が、メフメット2世は奇襲作戦を敢行。
「ここだ、多分ここあたりを船は登って行ったんだ」と地元民は言う。
オスマン軍の船団・70艘が今で言う新市街の陸路を登って行ったんだそうだ。
陸地に木の道を敷き油を塗って船団を金角湾の上流まで運んだ、と語り継がれている。

鎖で封鎖したはずの金角湾に突如オスマン軍の大船団が出現。
何がどうしたかわからないまま、東ローマ帝国は、1453年、滅亡するのだった。

13フィッシュバーガーIMG_3842

ガラタ橋の袂では、釣り舟が獲った魚をその小舟の上で揚げてパンに包んで売っていた。岸壁から手を伸ばして買って食べたがあの旨さは忘れられない。
そのころはまだ日本でもマクドナルドなどなかったように思うが、今思えばフィッシュバーガーといったところだ。
橋の下では親父たちが水タバコを吸いながら談笑して時を過ごしていた。
黒い煙を吐きながら汽船も行き来していた。

14水タバコIMG_3843

12汽船IMG_3841


4年ごとの大雪と冬季五輪、W杯、そして長友、と連想したら昔のイスタンブールにまで飛んでしまった。
古いアルバムを引っ張り出し、思い出に耽り出したという次第。

当時日本で流行っていた歌が ♬ ウシュクダラ ♬ あの江利チエミがうたう歌も良かったが、ここはご本家・アーサー・キットでいこう。異国情緒たっぷりな顔と唄で。
そういえば大分後で“飛んでイスタンブール”などという歌も流行ったなあ・・・。


今日もご訪問くださってありがとうございました。
From Tokyo With Love 東京より愛をこめて

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コメント

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ウシュクダラ

懐かしいミュージック、聴かせていただきありがとうございました。

No title

旅人さん、こちらこそ!コメントありがとうございました。

若き良き時代でした

ガラタ橋で食べた魚サンドは、小イワシであったと記憶しております。おいしかったですね。特に何も用事が無いのに、橋を歩く人や、魚を釣る人を眺めているだけで時間が経ちました。橋の下側にあるチャイハナで紅茶を飲んでいると、隣にいるトルコ人がいつの間にか勘定を済ませてくれていたりと思い出が蘇ります。なぜだかわかりませんが、今まで訪問した都市でイスタンブールが一番印象的で、気に入った街です。