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120年・・・Vol.1270

11月11日は地域の小学校の創立120周年記念行事があった。
明治30年横山尋常高等小学校として開校、5学級だった、ここから数えて120年。
それ以前は、明治6年の大館小学校が起源。ほかに近隣のお寺数か所などに小学校が設立されており、まさにマア寺小屋のようなものだったのかもしれないが、それらが合併したという。
大館小学校は家のすぐ近くの「龍見寺の堂宇にあった」と明治13年編成の『皇国地誌』は記している。
この頃は我が地域は武蔵国多摩郡館村と称していた。隣接が寺田村、相原村、上椚田村、下椚田村で古来から横山の庄・横山郷といわれる地域だ。

やがて地域は神奈川県から東京都となり、小学校は昭和16年に東京都横山村立第一国民学校となり、昭和30年の町村合併で八王子市立横山第一小学校となって今に至っている。
八王子市は今年で100周年、大正6年に市制が発足しているが、その大分前から学校は存在していた。

旧校舎は現在のすぐ近く、今の市役所・館事務所が建つ場所にあり、昭和43年に現在の場所に移転。旧校舎建設は、行政に金は無く、土地・建物すべて費用は地域の方々からの寄付で完成したという。「教育こそ命、未来の子どもたちのために」と惜しみなく先祖代々の土地を提供した館地域の人たちがいたことは後世に伝えていかなければならない。

昭和42年に開校70周年を迎えたが、この頃は京王線高尾線も開通し今の「めじろ台」住宅街の開発も始まる、市からは「めじろ台2丁目と3丁目」の児童は横山第一小学校が受け入れることと通達があり、それらの児童を受け入れるためにはより大きな規模の学校が必要となったが、市は人も予算もなく、やはり動けない。館村から(八王子市)館町となっていたが、館町住民は数度の市との交渉を経て「土地の取得の目途が付けば予算化を検討する」と市から言質を取った。その日から小学校の中核・館町のPTA,町会が中心となって用地買収の活動が始まる。「地主との交渉は主に夕方から夜にかけて年間150日は活動した」と当時のPTA会長・橋澤さんは語る。
甲斐あって翌年43年に一部完成、昭和45年に完成を見る。

昭和39年に校歌・校旗が出来る。
校歌の作曲は平井康三郎、♬ 山はしろがね、朝日を浴びて、滑るスキーの~ ♬の「スキー」や「トンボの眼鏡」などの作曲家だ。作詞は勝承夫、♫ 子ぎつねコンコン、山のなか~ ♫のドイツ民謡に詞をつけた「こぎつね」の作詞家。
2人は、何度も来校し、帰りは決まって高尾の「うかい鳥山で食事をすることがお爺ちゃんたちのの楽しみだったようです」とお孫さんの李枝さんは言う。(ちなみに”うかい鳥山”は、この年に創業、今も高尾の奥座敷の名店と言われ訪れる人が多い。)

そして今回、新しい愛唱歌が出来た。作曲はピアニスト、ソプラノ歌手等として活躍中の平井李枝さん。平井康三郎のお孫さんだ。作詞は小学校6年生が李枝さんのアドバイスをもらい数か月かけて完成、校長先生が補作した。愛唱歌は「ゆめのはな」。
120周年の記念行事は3部構成、李枝さん(と母親)のミニコンサート、式典、祝賀会で大変楽しいものとなった。

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児童から花束を贈られる李枝さんと母。

子どもたちの歌声も秋の空に高く清々しく吸い込まれていった。

今宵の曲は、平井康三郎作曲の ♫ 幻想曲さくらさくら ♫ 
ピアノから太鼓や笛の音が聞こえる。

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