八王子大空襲と防空壕・・・Vol.1095

数年前までは我が家の近くでも防空壕が見られた。
裏山が尽きるあたりの畑の土手に入口がポッカリ口を開けていたものだ。
子どもなどが入って遊んでは危ないので丸太などで入り口はバッテンされてはいたが、それもいつの間にか土で埋められわからなくなった。
その土手の真ん前には道路を挟んで3か月ばかり前に住宅が8軒ばかり新築された。
防空壕の真ん前の家の住人はおそらく防空壕の存在など知らないことだろう。

話は飛ぶが、六義園を見下ろすところに住んでいる友人がいて、彼は近在を逍遥してはブログなどに載せたりメールをくれたりしている。
先日も田端文士村に寄ったとかで滝井孝作のことに触れてきた。
「八王子の名誉市民じゃない?」とか・・・。

恥ずかしながら知らなかった。
すぐに調べてみたら、名誉市民だった。2人いて、もう一人は物理学者のようだった。
小説家・滝井孝作の本も読んだことはなかった。
早速アマゾンから取り寄せてみた。

滝井孝作android-20170609211107


『郷愁』の中に「大火の夜」がある。
1945年8月1日のことを書いている。
夕方、となりのかみさんが「八王子はいよいよ今晩だそうですよ」などと書き出していた。
7月の中頃から、危ない危ないといわれ、今日か今晩かと用心していたので、いよいよ今晩だと言われても左程驚きはしなかった。などと言い、それでも防空壕に食料を運んだり、10歳の娘をまず入れたり、などとしていた。B29は来そうにもないななどと防空壕から出て家のエンガワに戻ったり、また入ったりしていたようなことを書いている。が、実際に空襲は始まった。深夜を越えて翌2日、午前1時ころから始まった。この時は防空壕から戻り家の蚊帳の中で家族4人で寝ていて轟音で飛び起き「本当に来たな!空襲だ」と書く。
町会の者が「屋根に水を撒け!」と触れまわっている。10歳の娘を防空壕に入れ、上の娘と妻に梯子を押さえさせたりバケツに水を汲ませたりして滝井は屋根に上って水を撒く。
火事は西から北の方、市中全面が焼けていた・・・・。
空襲は引きも切らずに繰り返し投弾した。機数はニ、三百機以上だろう、始めてから2時間以上続いた。まだ止まないかと上空の爆音に振り向き「こんな小さい八王子の街に何時間掛かるつもりか、あまりにもしつこい」と思ったと記す。

死者445人、焼失家屋14000戸といわれる「八王子大空襲」のことを、その翌年に滝井は小説にしていた。八王子市は今年市制100周年を迎えている。

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