別子銅山異聞正伝「100年の計、我にあり」正月3日・Vol.457

1690年、時は江戸時代。日本の山々を流離う阿波の国生まれの渡り坑夫”切り上がり長兵衛”が別子山中でやけ(銅鉱床の露頭)を発見。長兵衛はすぐさま備中吉岡銅山の住友家支配人田向重右衛門にその始終を伝える。江戸の初めから銅を商ってきた住友家の近代的企業への道がこの時に芽生えたといっても過言ではない。住友家は徳川幕府から明治政府へと時代が移っても権益を死守していく。TBSテレビ新春スペシャル「100年の計、...

別子銅山・夢の跡・東洋のマチュピチュ登山最終章No.6・Vol.452

あと5.5kmを1時間で歩く、まず大丈夫だろう。(No.5の続き)今までの5.5kmは車の乗り入れが禁止時期だったので、道路の真ん中を韋駄天のごとく駆け下りてきた。と言うと聞こえがいいが実際は息切れしながら走ったり歩いたりだったが・・・。これからは県道で車の行き来もある。車道の脇の歩道を行かなくてはならない。まずは、登山道の入り口、あの赤い幟を目指す。1時35分までに着けばOKだ。あとは、来るときは上り坂で30分...

別子銅山・マチュピチュ東平に着く No.5 ・登山道を行く・Vol.451

第3発電所跡などがある広場から、東洋のマチュピチュと言われるメインの場所に向かう。(NO.4の続き)歩いて4分ばかりだ。この第3発電所の広場までは車は入れないので登山路の延長といった感じの小道だ。少し行くと魔の前に風景が開けた。この写真はアップしたものだが、樹間に遠く見える東平は、確かにペルーのマチュピチュを連想させるたたずまいであった。インカ帝国とは時代が違い、使われている素材も石だけではなくレンガ...

別子銅山「夢見の滝」・東洋のマチュピチュユ豊平 No.4 登山道を行く・Vol.450

夢見の滝をめざしてさらに登山路を進む。(No.3の続き)青年団のお地蔵様から10分、こんな橋が架かっている、橋の手前に右側へ行く標識もあって迷ったが、そちらには東平とは書いてなく違う名前があった。橋をよく見ると銅山峰へと書いてあったので、この橋を渡った。OKだった。橋を渡り13分ばかり行くと、見事な滝があった。これが「夢見の滝」だ。あとで滝の名前を調べてみたがわからなかったので東京に戻ってから新居浜市観...

別子銅山・夢の跡・東洋のマチュピチュ No.3 ・登山道を行く・Vol.449

さらにゆるやかに登っていく小道が続きます。(No.2から続く)眼下はるか下方には小女郎川が流れ、渓谷の向こうには赤石山系の峰々が白雲を呼んで連なっていました。登山道は土砂が崩れ、道を少し塞いでいる箇所もありましたが、問題はありません。銅山の栄華の跡も樹間のあちらこちらに見られます。30分ばかり歩くとここに出ます。お地蔵様です。「長尾青年団」と記してありました。今も存在するのでしょうか?銅山が活況を呈し...